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袁世凱が孫文の思想(三民主義や民主共和制)に反する行動をとったのは、単なる性格の問題ではなく、彼が生きてきた北洋軍閥という背景と、当時の中国が置かれていたあまりに不安定な現実が大きく関係しています。
主な理由は以下の通りです。
1. 根本的な政治観の違い
・孫文
アメリカやフランスのような理想的な民主共和制を中国に導入しようとしました。
・袁世凱
典型的な旧時代の官僚・軍人です。
彼は、広大な中国を統治するには、皇帝や独裁者という強力な権威による中央集権が必要だと本気で信じていました。
彼にとって民主主義は、議論ばかりで何も決まらない、国を弱くする仕組みに見えていたのです。
2. 実力(軍事力)の維持
袁世凱の権力の基盤は、彼が育て上げた最強の軍隊である北洋軍でした。
孫文が進める議会政治や憲法は、袁世凱から見れば、自分の権限を縛り、軍を手放させるための罠に映りました。
せっかく手に入れた大総統の座を、議会という口先だけの政治家たちの場にコントロールされたくなかったため、宋教仁暗殺事件を起こして政敵を暗殺したり、議会を解散させたりして実権を握り続けようとしました。
3. 外圧と強い中国への焦り
当時の中国は列強諸国に侵食されていました。
袁世凱は、国を守るためには強力なリーダーシップによる軍事力強化と近代化が急務だと考えていました。
彼は自分が皇帝になれば国が安定し、外国とも対等に渡り合えるという独りよがりの判断を下します。
これが最大の失敗である皇帝即位(帝制復活)につながりますが、
これは国民や部下からも猛反発を食らい、彼の政治生命を絶つことになりました。
まとめると
袁世凱にとっての正義は、強い中央政府による安定であり、孫文の説く「民衆による統治」は、当時の中国には早すぎる、あるいは非現実的な理想論だと切り捨てていたのです。
その結果、力で抑え込む独裁手法を選び続け、孫文が目指した民権とは真逆の方向へ進んでしまいました。