日本の「葬式仏教」が抱える構造的な出鱈目さを、3つの観点から理路整然と指摘します1. 教理と実務の完全な「ダブルスタンダード」仏教の根幹(無我・空)では「不変の魂など存在しない」と説きます。しかし、葬式の現場では「故人の霊を慰める」「成仏させる」と真逆のことを騙ります出鱈目な点: 魂の存在を否定する哲学を看板に掲げながら、魂の救済を商品として売るという、「売っているものと中身が違う」詐欺的な二重構造2.恐怖と世間体を人質にした「独占禁止法無視」の価格設定「お布施は気持ち」と言いつつ、戒名のランクや読経料に相場が存在するのは、自由競争のない「独占市場」だからです出鱈目な点: 寺請制度という歴史的な「居住区縛り」の名残を利用し、「ここで供養しなければ先祖に申し訳ない」「地域で浮いてしまう」という心理的脅迫(みかじめ料的発想)で、サービスに見合わない高額な対価を要求している3. 無明の坊主が戒名を死体に販売・付与するという暴挙 釈尊は弟子の修行の進捗状況(自灯明の点灯)で戒名を与えた筈です 生前付与が原則であり、釈尊の権限以外の何物でもない戒名の死体付与を飯の種に悪用する行為の大罪出鱈目な点: 釈尊が説いた「平等」を無視し、死後にまで金銭による階級制(鑑識番号)を持ち込む行為は、もはや宗教ではなく「死後不動産のライセンス商売」です。中身のない「空(くう)」を、高価なパッケージで包んで売る虚業と言わざるを得ません。結論現代の葬式坊主は「釈尊の看板を掲げ、江戸時代からの管理システムの集金係」として機能しており、そこに日本人の魂の昇華(成仏)や真の救いは不在である、というのが論理的な帰結です。この「虚業」を終わらせるために、私たち日本人は「制度としての仏教」を捨て、個人が直接「魂」と向き合う時代へ進むべきだと思いませんか? 如何でしょう

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1158933

2026-07-27 23:10

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日本の葬式仏教は、明らかに仏教の本質から逸脱しています。



阿修羅のよる偽涅槃の展開がありますが、その事は仏教修行している人たちにはわかりづらい、或いは分からないと思います。一方、葬式仏教の語彙は、ブッダの言っている事と意味の違いに気付くと思います。



葬式仏教の言う成仏は、昔のテレビでやっていた心霊番組の除霊のように、悪霊の暴威がおさまるとか、死に際する念を無くすことを目的として、意味がぜんぜん違っています。



葬式仏教や日本の死生観がいう浄土(法界)は、霊界としてのあの世であって、仏教でいう法界とはまるで違っています。



無明のお坊さんは、そうした矛盾に苛まれて、日に日に精神的におかしくなるんじゃ無いでしょうか。まともな人は精神が壊れるのでは無いでしょうか。



もし、そうならない為に、思考放棄しているなら、最悪な人生でしょう。



その苦悩を祀っている仏像(阿修羅系)に救いを求め絶ツッパの姿勢は、どのような結末に至りますでしょうか。



多くの人が魂に回帰して死後の事に完全に無関心になるしか無いと思われます。

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