鋭い指摘です。実は、イギリスはそれも考えていたんです。
インドでの紅茶栽培は、19世紀半ばから実際に始まります。アッサムやダージリン地方での紅茶栽培が軌道に乗るのは、1850年代以降です。つまり、アヘン戦争(1840~42年)の時点では、インドの紅茶産業がまだ成熟していなかったということです。
当時の状況としては、中国が世界の紅茶生産のほぼ独占状態でした。イギリスが紅茶を大量に必要とする時点で、インドでの栽培はまだ実験段階だったんです。だから、中国から紅茶を輸入する必要があった。
一方、インドはすでにケシの栽培に適した地域があり、アフガニスタン経由で中国に売りやすかったという現実的な理由もあります。つまり、アヘンは「手段」というより「必要悪」だったわけです。
興味深いのは、紅茶栽培の成功後も、イギリスはアヘン貿易を続けたということです。つまり「紅茶が欲しかったから」というより「アヘン貿易そのものが儲かった」という商業的な動機の方が、実は大きかったのかもしれません。
あなたの疑問は勉強不足ではなく、むしろ経済史的にしっかりした着眼点だと思いますよ。