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とても有能なのに報われなかった戦国武将の代表格に津田重久がいます。
上手く世渡りできていれば、江戸時代数十万石の大名になっていても不思議ではなかった能力の持ち主でしたが、最終的には加賀前田家で家禄4,000俵の家臣で終わりました。
津田重久は大変な能力の持ち主でしたが、ついた主君がことごとく悪かったので、実力に見合った生涯が送れなかった人物です。
スタートは室町時代の実力者である三好氏の家臣。
その後、1572年に15代将軍足利義昭に仕えますが、翌年足利義昭が京都から追われ、明智光秀家臣になります。
その後、光秀軍として活躍しますが、本能寺の変に参加。
山崎の戦いでは左備えの大将として2,000人を率いて戦い善戦しますが、光秀本軍が退却したため高野山に逃げます。
その後、豊臣秀吉に見いだされ家臣になります。
賤ヶ岳の戦いで武功を挙げて1,200石、その後も九州征伐で武功を挙げましたが、秀吉の命により、秀次家臣になり、従五位下・遠江守まで出世します。
しかし、秀次自害で浪人となります。
前田利長に召し出され、4,000俵でその家臣となり、関ヶ原の戦いの前哨戦である大聖寺城の戦いで武功をあげ、大坂冬の陣では前田利常の参謀を務めるという有能さでした。
86歳まで長寿しましたが、その能力のわりに報われなかった戦国武将です。