最近、幕末に興味が出て有名な人物を調べていました。徳川慶喜は大阪城脱出時の部下・兵士たちを騙して側近と江戸に逃げました。今までに多くの戦いが記録された資料がありますが、徳川慶喜以外に仲間を騙して逃げた人・大将はいましたか? 大将や主君を守るため・逃すために部下が殿軍となることはありますが、部下を騙しての逃亡者は私は初めて知りました。前に徳川慶喜の大河ドラマがあり、ドラマになるなら明君だったと思っていました。また新政府に恭順後に逆にその後も幕府側として戦っていた会津、東北諸藩に命を狙われることなかったでしょうか?

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1211524

2026-08-09 14:05

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仲間や部下をダマして、という状況ではないですが、仲間や部下を置いて逃げた大将で思いつく人物を挙げてみます。



<戦国武将>

仙石秀久(戸次川の戦いでの大敗後、仲間の四国勢を置き去りにして逃亡)

荒木村重(有岡城を織田軍に包囲され、家族や部下を残して逃亡)



<旧日本軍の将官>

富永恭次 中将

木村兵太郎 中将







徳川慶喜についてですが、彼は非常に頭が良い人でしたので、確実に自分が助かる道を選んだでしょう。つまり仮にその後も戦いを決意したとしても、別の近いタイミングで恭順した可能性が高いと思います。



以下は補足です。



徳川慶喜とい人物は頭脳は非常に明晰でしたが、非常に自分勝手で、部下に色々命じておきながらハシゴを外す。それが当たり前の行動でした。松平春嶽や勝海舟など優秀な家臣は、常にそういった理不尽な行動に悩ませられていました。



極めつけは質問者様も仰っているとおり、鳥羽伏見の戦いにおける大坂城での行動。大勢の前で勇ましい演説をしておきながら、自分に付き従う多くの部下たちを見捨てて逃げ帰るという行動は「武家の棟梁」とは思えないもの。それ以上に ”人間” として最低の所業です。



また明治以降は悠々自適にぬくぬくと暮らしながら、徳川に殉じた人たちに対して何のねぎらいの言葉も残しておらず、もちろんその家族に対する支援も全く行っていません。本当にこの人は血の通った「人間」なのか?、と思うくらい最低の行動です。



困窮にあえぐ旧幕臣たちの支援を行っていた勝海舟や榎本武揚、新選組の名誉を回復するため奔走していた永倉新八など、かつての部下たちの行動を、この慶喜という男はどういった感情で眺めていたのか。その気持ちを聞いてみたいです。

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