宝永大噴火では、噴火初期から約2週間にわたって断続的に大量の火山灰が江戸市中(現在の東京都心部)に降り注ぎ、江戸では数センチの灰が積もった様です。市中では家屋の屋根や道路に積もった灰を住民が掃き出して通りに集めたとのことです。集められた灰は幕府の指示のもと、江戸市中から郊外(江戸の周辺部)へ運搬されましたが、物流が麻痺していたため、処理には相当な時間がかかりました。
農地では天地返しと言って、表面と数十センチ地下の土を入れ替える方法で処理をしました。
なお、江戸の範囲は大体ですが北は板橋・千住、南は品川、東は本所・深川、西は四谷です。