函館辺りでも、冬は毎日-10℃程度には下がるし
嵐ともなれば平地でも-20℃近くなった事もある。
温暖化進んでる最近での話。
天明の大飢饉の頃は、北半球で相次いだ巨大噴火の影響で小氷期になってたのでね。
小氷期は14世紀半ばから19世紀半ばの約500年の長期間にわたって続き、特に江戸時代中期頃は非常に寒かったそう。記録によれば、1773年(安永2)、1774年(安永3)、1812年(文化9)の冬には尺の積雪に隅田川が凍ったとか!とすると、現在より軽く平均気温で数度は低いことになります。氷点下の真冬日の連続が無きゃ隅田川は凍りませんので。
更に悪い事は続く
和人の悪徳商人のせいで、アイヌとの関係が悪化してましたからね。
シャクシャインの乱、クシャマインの乱は粗悪品の刀を高額で売り付けた事から始まった戦争である。
確か、一方的にクレーム言った若者を見せしめにコロして始まったのだったか。
関東でも、夜の寒さで藁の中に潜り込んで寝たり、家の周りに稲藁を積み上げて断熱に使う例が水上方面とかに見られる、江戸でも似た様な事をしてる貧乏人も見られた。
富裕層は炭火の暖房に敷布団、掛け布団、畳、コタツ、火鉢、湯たんぽが使われていたので、使用してても不思議ではないが。
江戸中期以降は、掘りごたつ、置きコタツにコタツ布団を掛けるのが習慣になってました。
アイヌのヨシを束ねて造られた家の構造も参考にして耐えたのでしょう。
この場合、囲炉裏のみで出入り口を閉めて暖を取る。
必然的に、湯屋とか無いですから、衛生的には相当にアレでしょうね。風呂に入らないヒッキーの体臭がどんなになるか??想像できますか?
因みに、探検、入植の話は戦国時代末期から出てきますが、歴史的には安曇族系縄文人が、北海道のみならず樺太島にまで交易に航海してましたからね。
物証としては、こんな所ですが
サハリン(樺太)宗仁遺跡や本斗遺跡の遺跡からはヒスイの製品は出土していますが、その原産地は日本の新潟県糸魚川市周辺と考えられています。サハリン島内でヒスイの原石が産出することは知られていません。
中継地は北海道に各所あり、オホーツク海側は『常呂川河口遺跡墓坑出土品』が有名ですね。
ココも糸魚川産ヒスイが出土しております。
流れの速い津軽海峡を超えた交易はアイヌ側は出来てませんので、主たる従事者は安曇族系縄文人です。西は出雲のオロチ一族中核地域は九頭龍川沿い、日本海に注ぐ九つの大河の下にコロニーが存在し、大陸からの移民団の入植地も運営していた。ヘッドとなる大部族が9なのでお股は八つ、ココから八岐大蛇の本体がこの民族となる。素戔嗚は1番西の大部族を制圧、乗っ取った。出雲系には大本の家宰を勤めた加茂族が付き従うので、賀茂神社の社が各地にある。