現代の教会だったら…
一部の特別厳しいプロテスタント宗派は別として…
多分、絵など偶像に過ぎないから踏み絵を強いられたら迷わず踏むように
と教会側から教えてるでしょうね…
でも、当時の人達にとってはご絵というのは、きっともっと特別な意味があったんでしょうね。
仏教では仏像には仏の魂が宿っていると教えられるそうですが、
恐らく当時の吉利支丹たちは、その仏教的感覚が改宗後もまだ根強く残っていたのでしょう。
例えば、質問主さんは好きな人の顔でも推しの顔でも踏めると仰いますが、
それが絵や写真でなく、本人を連れてきて縛り付けて踏めと言われたらどうでしょう?
しかも、本人の顔を踏む事は単に一時、相手に痛い思いをさせるだけではなく
それは二度とその人を見ることができなくなる誓いの印だとしたら?
芸術家…例えば一生を音楽に捧げてきたピアニストに二度とピアノが弾けなくなるような指の手術を受けるか
死刑に処されるか、どちらか選べと裁判所に迫られたら、死を選ぶ者は現代にもいそうな気がします。
信仰の強い人にとっては、宗教というのはそれに匹敵する…いやそれ以上に人生にとって意味のあるものなのですよ。
ちなみに、もちろん当時でも信仰より信仰を捨てても生き残る事を選んだ人達は大勢いたでしょう。
踏み絵を拒み殉教した人々より、踏み絵を踏んで転び吉利支丹となった者の方が数十倍多かったと想像します。
更に踏み絵は踏んでも信仰は捨てられず、潜伏吉利支丹の道を選んだ者もいました。
江戸時代200年間の内に吉利支丹の道を去った二世、三世信者も大勢いたであろうこと、
同じ期間に見つかって拷問の末、処刑された農民が数もわからぬほどいたこと、
更に、それを乗り越え明治維新の時にはまだ数百人規模の潜伏吉利支丹がいた事などを考えると
徳川時代初期における潜伏吉利支丹の数は数千にのぼっていたはずです。
踏み絵を踏んで殉教した信者の数など、当時の信者全体の内、極、極、小さな一部です。
だからこそ世界中で…キリスト教本場のヨーロッパでまで…彼らは特別な聖人として崇められているのです。