大阪の陣は島原の乱と一緒で所詮は幕府への反乱軍を鎮圧した程度の話だったと思いますが、戦国最後の合戦とか豊臣は後一歩だったみたいな言い方をされているのは何故ですか。信繁軍が家康を討ち取った所で総大将は息子ですから多少の動揺はあっても結局は物量で鎮圧されていたと思いますし、秀吉全盛期をリアルタイムで経験している武将が絶滅しつつある時代に秀頼が出馬した程度で豊臣側に寝返る勢力が出てくるとは思えないですが。

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1273955

2026-08-09 22:15

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「反乱軍を鎮圧した程度」であることと、「戦国最後の合戦」であることは矛盾しません。

ただ、最後がそれでは盛り上がりに欠けるので、物語では……当事者の回想でも……オーバーに語られるだけです。



ただ、「後一歩だった」のも事実ですよ。ただし、放っといてもあと一年も持たない家康ではなく、大野治房勢による(木村主計隊による、というべきか)秀忠本陣攻撃の方ですが。

この時点で秀忠が死ねば、未だ幼い家光で幕府がまとまっていけるか? 叔父達とその周辺の大名(例えば、松平忠輝とその舅である伊達政宗とか)が家督に野心を持たないと保証出来るか? 家臣団にしたところで、家康側近グループと秀忠側近グループが協調して(秀忠が政権を固める時間が充分にあり家康側近グループは既に過去の存在となっていた史実でさえ、本多正純改易事件が発生したというのに)新将軍を盛り立てていけるか?



……何が起こるか分かりません。そして、その段階でなら、豊臣家を(羽柴秀吉にとっての織田三法師のように)神輿として担ごうとする大名が現れることは、必ずしもあり得ぬ話ではない。

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