みなさま、あけましておめでとうございます。年が改まったとはいえ、世界が急に新しくなるわけでもなく、時計の針が一周しただけで、昨日の続きのような今日が始まる。それでも元旦というのは不思議なもので、炬燵に入り、テレビをつけ、餅を焼き、「今年はまあ、ゆっくりいこうか」などと、普段より少しだけ肩の力が抜けます。ニュースも深刻さを控えめにして、代わりに流れてくるのは動物番組や紀行もの。遠い国の風景や、危険そうな生き物も、どこか丸く、安心できる物語に見えてくる。知識も経験も、いったん画面の向こう側に置いてしまえば、「面白いね」「すごいね」で済む。でも正月というのは、その“向こう側”を、うっかりこちらに引き寄せてしまう季節でもあります。新しい年、新しい挑戦、新しい興味――少し浮かれた気分と一緒に、境界線もふわっと曖昧になる。そんな、のんびりした元旦の空気の中で、ちょっとだけ怖い話を思い出しました。爬虫類好きというのがいます(笑)私も好きですが、毒蛇は飼おうと思います。でも、マニアがいて、みんなで集まり、「どうだ、これは珍しいだろ!」と見せ合いっこするそうです。「おお、これが日本にもいたのか!」とみんな呆然とするそうです。飼い主はドヤ顔!で、毒蛇を家に連れて帰って、ケージに移そうとすると、ガブッ。な、なに?か、噛みついた?病院に、日本スネークセンターに電話。ブラックマンバの血清?それ、置いてません。さ、どうする、どうする?と思ってたら、ご臨終。神経毒はまわりが早いんです。動物番組をテレビで観るのならいいんですが、本物を飼ったらどうなるか?東京でハブに噛まれて困った人もいたそうですが、ブラックマンバはやめといた方がよさそうですよ(笑)そこで質問ですが、私たちはなぜ、画面越しで眺めているうちは「なるほど」「分かった分かった」と頷いていられるものを、いざ自分の生活のすぐ横に置いた途端、その危うさを急に見落としてしまうのでしょうか。正月休みで時間が少し緩むと、テレビでは動物番組が流れ、ブラックマンバもハブも、どこか遠い世界の出来事のように映ります。炬燵に入って、みかんを剥きながら見ているぶんには、「へえ、すごいね」「怖いね」で済む話です。でも、いったんそれを「自分で飼ってみたらどうだろう」「実際に触れたらどう感じるんだろう」と想像した瞬間から、知識のはずだったものが、いつの間にか現実と直結しはじめる。不思議なことに、知れば知るほど慎重になるのではなく、知った“つもり”になったところで、「自分なら大丈夫だろう」という根拠の薄い安心感が顔を出す。正月の気の緩みみたいに、危険も一緒に、少しだけ緩んでしまうんですね。年が改まり、「今年は何か新しいことを始めよう」「今まで手を出さなかった世界に踏み込もう」そんな前向きな気分になる季節だからこそ、ブラックマンバの話は、どこか他人事に聞こえなくなります。テレビの中では物語だったものが、一歩近づいた瞬間に、ただの“知識”では済まなくなる。さて、私たちは今年、どんなものを「画面の向こう」からそっと自分の手元に引き寄せようとしているのでしょうか。そしてその中に、ブラックマンバはいないでしょうか――炬燵の中は温かくても、神経毒は、正月休みを待ってくれないのですから(笑)。みなさんは どう思いますか? ๑/๑