実際には自由意志もなく、行為者もいない。だから責任もない。でも、最善を尽くして生きるべきですよね? ただ単に、自由意志がないだけでは、指針がありません。当たり前のことでしょうか?THE BHAGAVAD GITA A SELECTION RAMESH S. BALSEKAR(ラメッシ・バルセカール)バガヴァッド・ギーター 第2章 第47節 解説ラメッシ・S・バルセカール 著よりあなたにできることは、ただ行為そのもののために行為することだけです。 あなたに行為の結果に対する権利はありません。 (自らの行動の結果は、あなたの管理下にはないのです)。 しかし、この事実によって、何もしない(不作為)という方向に傾かないようにしなさい。これは『バガヴァッド・ギーター』の中で最も頻繁に引用される一節の一つですが、同時に、心から受け入れることが最も難しい一節かもしれません。人間が「動機」なしにどうやって行動できるというのでしょうか? しかし、これこそがまさに人間に求められていることなのです。このジレンマのすべては、「もし行動の結果(報酬)を期待せずに働くよう求められたら、人は働かなくなるだろう」という誤解に基づいています。この誤解の根底には、人間には「行うか、行わないか」を決める自由意志があるという信念があります。自分に自由意志がないと言われて喜ぶ人はいません。しかし、現代の世界の状態を見てみてください。世界は破滅の淵に立たされており、何年もの間、次から次へと危機が続いています。そこで一つの疑問、大きな疑問が残ります。人間は確かに(人類を月へ送るほどの)凄まじい知性を持っています。そして、自由意志も持っているはずです。だとしたら、なぜ人間はその知性と自由意志を組み合わせて、世界をより良い場所にすることができなかったのでしょうか?別の側面もあります。それぞれの分野のリーダーであるような知的で優秀な多くの人々が、自分の未来を知ることに非常に強い関心を持っています。もし彼らが本当に自分自身の自由意志を信じているのであれば、なぜ占星術やそれに類する現象にこれほどまで興味を抱くのでしょうか?このように考えていけば、唯一の妥当な結論に行き着くはずです。すなわち、人間がこのような振る舞いをしてきたのは、自らの思考や感情をコントロールできていないからである、という結論です。本人が「自分の行動」だと思っているものは、実際には外部からの衝動に対する個体(有機体)の「反応」に過ぎません。それは、ふと湧き上がった考えであったり、目にした出来事であったり、あるいは偶然耳にした言葉だったりします。それぞれの個体は、あらかじめプログラムされた身体的、精神的、知的、気質的な自然的特性に従って反応しているのです。この教えを真に受け入れる際のもう一つの難しさは、それが「宿命論」的な態度につながるという議論です。その宿命論的な議論は次のような問いになります。「もし自分の行動の結果に動機付けられず、実際に自分の行動に自由意志がないのであれば、そもそもなぜ働く必要があるのか?」答えは驚くほど簡単です。あなたは、いかなる時間であっても「何もしない」でいることはできません。なぜなら、個体の中にあるエネルギーが、あなたに行為を強制するからです。その個体の自然的特性に従って行動せずにはいられなくなるのです。言い換えれば、「行動するかしないか」それ自体が、あなたの管理下にはないのです。人生の教養が身につく名言集 (単行本) 出口治明人間は、1人では生きてはいけない動物です。人が集まり「社会」という共同体を作り、人間は社会に守られて生きているのです。社会には、それがきちんと機能するための「ルール」が存在します。社会で生きる私たちは、そのルールを守り、その中で自分の「やるべきこと」にベストを尽くす。それが、私たちが社会で生きていく上で、最低限、求められることです。もし、ルールに縛られず、100%自由に生きたいというのであれば、無人島で1人で暮らすしかありません。そこでは、守ってくれる人は誰もいません。自分の身は自分で守っていかなくてはなりません。「完全な自由」とはそういうものです。