藤原頼道は極楽往生を願って、平等院鳳凰堂を創建しました。何かで聞いたのですが、頼道は平等院を極楽、宇治川を三途の川と位置付けていたそうです。そして宇治川対岸の寺院を現世(若しくは此岸)としていたそうですが、この寺院の名前は解りますか? 現在でも存在していますか?

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1002283

2026-03-10 10:10

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その説を唱えているのは京都造形大学の杉本宏氏だと思いますが、杉本氏は対岸の離宮社(現・宇治上神社)を此岸と想定しているみたいですね。



https://repository.nabunken.go.jp/dspace/bitstream/11177/2364/1/BB01552706_074_085.pdf



ただ、これは杉本氏の説にすぎず、確定的なものではないと思いますよ。



平等院の北、4キロくらいの木幡というところには、「宇治稜(木幡稜)」と呼ばれる藤原北家一門の陵墓群があります。道長・頼通親子もここに埋葬されています。

また、木幡には同じく藤原北家嫡流の藤原基房(松殿基房)が「松殿」という別荘を営んでいてました。



都から見れば、木幡のあたりから南は藤原北家の聖地であって、平等院はそのいちばん奥に位置するともいえます。

そういう、もう少し巨視的な見方をすると、平等院の立地もべつの意味をもって見えてくるようにも思いますけどね。

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