その説を唱えているのは京都造形大学の杉本宏氏だと思いますが、杉本氏は対岸の離宮社(現・宇治上神社)を此岸と想定しているみたいですね。
https://repository.nabunken.go.jp/dspace/bitstream/11177/2364/1/BB01552706_074_085.pdf
ただ、これは杉本氏の説にすぎず、確定的なものではないと思いますよ。
平等院の北、4キロくらいの木幡というところには、「宇治稜(木幡稜)」と呼ばれる藤原北家一門の陵墓群があります。道長・頼通親子もここに埋葬されています。
また、木幡には同じく藤原北家嫡流の藤原基房(松殿基房)が「松殿」という別荘を営んでいてました。
都から見れば、木幡のあたりから南は藤原北家の聖地であって、平等院はそのいちばん奥に位置するともいえます。
そういう、もう少し巨視的な見方をすると、平等院の立地もべつの意味をもって見えてくるようにも思いますけどね。