坂上田村麻呂の「蝦夷征伐」に出征した兵士は、どこから集められたのですか?□延暦20(801)年2月、坂上田村麻呂は征夷大将軍に任ぜられて平安京から出征しました。軍勢は4万人、軍監5人、軍曹32人であったと「日本後紀」に書かれています。□<前回のベストアンサー>各国の国司や郡司を通じて動員された地方兵(国衙軍・健児など)+受領・有力氏族の私兵・補助的な動員(搬送・従者)や現地での同盟的武装集団を総体として数え上げたものと考えるのが妥当です。□<私の疑問点>地方兵(国衙軍・健児など)とあります。健児は分かりますが、その頃に国衙軍は存在していましたか。国衙軍制が成立するは、10世紀~12世紀と聞き及んでいます。□<坂上田村麻呂>

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1229916

2026-02-20 13:15

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坂上田村麻呂の「蝦夷征伐」に出征した兵士は、主に地方の国司や郡司を通じて動員された地方兵と、受領や有力氏族が提供した私兵でした。あなたが指摘したように、国衙軍制は10世紀から12世紀頃に成立したため、当時の征伐では国衙軍は存在していませんでした。

したがって、軍勢は主に以下の兵士で構成されていたと考えられます:

  • 地方の国司や郡司が直接動員した地方兵: 主に国衙軍や健児(武勇な若者)からなると考えられています。
  • 有力氏族の私兵: 当時の有力な氏族が自ら訓練していた兵士を出征に参加させました。
  • 受領の私兵
  • 現地での同盟的武装集団
  • 従者や搬送兵

これらの兵士を総合的に計上して約4万人の軍隊が編成されたものと考えられます。ただし、歴史書は兵数の記録に誤差がある場合もあるため、正確な兵数は確実ではありません。

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