クリスチャンに質問です。患難前携挙説について疑問があります。聖書全体を読むと、神の民は苦難を避けて取り去られるというよりも、その中で神が共におられ守られるという流れが一貫しているように感じます。例えば、荒野の40年のイスラエル、ヨセフの人生、ダニエルの火の炉やライオンの穴など、いずれも苦難そのものは通っています。しかし、その中で神の守りと導きがありました。また、イエスご自身も苦難を通られています。さらに、新約でも同様に、信仰者が苦難の中で神と共に歩むという流れが見えるように思います。このように見ると、なぜ終末の大艱難だけは「信者は通らず、その前に携挙される」と解釈されるのでしょうか?また、ヨハネの黙示録には携挙が明確な形で出てこないように見えますが、それはどのように理解されているのでしょうか。聖書全体の流れの中で、終末だけが例外になると考える根拠、あるいは苦難と携挙の関係の整理について教えてください。 どなたでもいいので教えてください。#キリスト教 #イエス・キリスト #終末論 #携挙 #患難前携挙 #聖書解釈 #神学 #旧約聖書 #新約聖書 #黙示録 #インマヌエル

1件の回答

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1211333

2026-06-21 01:50

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艱難を免れるための携挙では無いでしょうね。
144000人がイエスと共に王になり、1000年王国で支配します。

彼らは、ハルマゲドンの戦いで、イエスと共に、人間の政府や軍隊(神の国と敵対関係)と戦います。

携挙は、裁く側の王としての立場です。
(携挙はクリスチャン全員ではなく、王となる144000人だけです)

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