結局、悟りなんて、ないんじゃないか? という気分になってきました。仏教と非二元論の教え自体は、事実だと思います。結局、凡人の私は、ラメッシ・バルセカール(Ramesh S. Balsekar)の非二元論の基本原理「出来事は起こり、行為はなされるが、そこに個々の行為者はいない(仏陀がオリジナルの言葉、無我)」「神の意志でないかぎり、何ごとも起こらない。起こることすべては神の意志(自然の法則、運命、全体性の機能)」という心の平和のための教えを、「普通」に理解して、生きることしかできません。完全な理解ではないです。また、仏教と非二元論は、悟りにもこだわるな、と言っています。悟りも「空」で実体がないからです。ということは、ただ今を生きることに専念すれば、もう、それでいいということになりませんか?質問① 悟りは、本当はないのではないか?質問② そうであれば、したいこと、すべきだと思うことをやって、ただ今を生きれば、もうそれでいいのではないか? それが、凡夫の生き方、凡夫の悟りではないか?あなたの考えを書いてみてください。

1件の回答

回答を書く

1008208

2026-07-18 10:40

+ フォロー

①事実は悟りだけしかないのです
②あなたも悟りそのものなのでいつかは気が付きます
一時的に分からなくなっているだけです
ただ、意図せず出口から早く出てしまったのが悟りと呼ばれているのです。

うったえる有益だ(0シェアするブックマークする

関連質問

Copyright © 2026 AQ188.com All Rights Reserved.

博識 著作権所有