ふと日常をぼんやり眺めていると、「あれ?本当に私が世界を見ているのか?」と考えてしまうことがあります。目の前のものを「美味しそう」「すばらしい」と感じるその瞬間、その感覚は果たして外界そのものに由来しているのか、それとも私の中のもう一人の私がひそやかに働きかけているだけなのか…。小さな違和感や感動、偶然に出会ったものに胸を打たれるとき、頭の中で理屈を並べて理解したというよりも、体のどこかで反応している気がするのです。そんなことを考えていると、世界と自分の関係がふわっと溶けて、境界が曖昧になっていく感じがします。それで、「目の前に美味しそうなケーキがある。」この「美味しそう」が既に「私」の主観です。「私」の欲望の外界への投影です(笑)「目の前にケーキがある。」これって小麦粉と生クリームと砂糖とバターと卵と…じゃないの?ケーキという物体も人間がそう認識するだけです(笑)アリからはそう見えてないでしょう。「目の前に小麦粉とバターと…がある。」小麦粉もバターも人間が作った物です。周囲の自然と混じり合ってると言えば、言えます。こんな区切り方は、人間だけが行うことかもしれません。最終的には、原子の砂漠(笑)どこまで、人間の目線で出来てるか?ある程度まで分解した時、意味がなくなります(笑)この意味で「私」は「外界」とでなく、「もう1人の私」と対話してるだけなんです(笑)「お花畑」では「理想の女性を探す」と言います。まるで「私」の頭の中に「理想の女性像」がはっきりあって、「私」はこの理想像に合致する女性を探すみたいな話です(笑)実際、こうなってるでしょうか?何も考えず、ぼんやり歩いてたら、すばらしい!女性に出会います。おお!と感動。その女性が理想になるのと違いますか?(笑)この理想像が最初からあった!なんて考えは、アメリカの三文喜劇です。黒人の坊やがクリスマスプレゼントをもらいます。開けると、中からゴジラの人形が出て来ました。黒人の坊や曰く:「ありがとう!ちょうどこういうヤツが欲しかったんだ!」本当にそうでしょうか?本当なもっと違う物が欲しかったのと違いますか?でも、これもいいなぁと思ったのではないでしょうか?これが現実です(笑)そこで質問ですが、私たちが何かを「理想的だ」と感じる瞬間や、「美味しい」「すばらしい」と思う瞬間、それは本当に最初から頭の中にある理想像や基準に照らした結果なのでしょうか?それとも、目の前に現れたものや出会った出来事に、ぼんやり感動しながら、後から理想や評価を当てはめているだけなのでしょうか?もし後者だとすると、教育や経験、あるいは学びとは、外界の情報を詰め込むことではなく、この偶発的で内的な感動や気づきの波紋をどう刻み、育てるかを設計する営みなのかもしれません。みなさんは どう思いますか?๑๒/๒๑

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2026-02-05 22:05

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「理想の美女」という概念があります。

人間の頭の中にあるものかも、現実の美女たちの合成だったり、

エッセンスの抽出かもしれません(笑)

AIを駆使して「これが最高!」というものを造り出すことは可能です。

でも、そんな人、現実にいるでしょうか?

「現実にいないから理想なんだよ!」と言う人もいるでしょうが、

そんな「純粋な理想」はあまり役に立たなかったりします(笑)

いえ、害になったりさえします。



では、現実の美女や普通の女性を見ずに「理想の美女」を自分の頭だけ

で創り出したらどうなるでしょうか?

これこそ、現実とは全くなんの接点もない人形が出来ませんか?

もしかしたら、マネキン人形みたいな浅はかな物になりませんか?



想像は現実とは違うんだ!

こう言いたい気持ちはわかります。

でも、想像の材料のほとんどは現実から来てるんです。

現実から教えてもらってる様なものです(笑)

(「私」の先生は「もう1人の私」で、「もう1人の私」の先生は

「現実」です!)



なので、たとえタケシくんにとって「理想の美女」が最初はマネキン

人形みたいな物であっても、実際の経験とともに、だんだんと修正

されて行くでしょう。

そして「実際に見た様々な美女の合成や抽出」であっても、

100人の美女なら100人の美女の平均ではあり得ないでしょう。

1人か、2人「これは!」という際立った例が芯を構成してるのでは

ないでしょうか?

こう考えるなら、理想といえど、理想像を持つためには現実の経験が

大切!とならないでしょうか?



昔は、小中学校でリコーダーを吹いてました。

Y社やZ社の製品が一番使われたと思います。

2つを比べ、こちらの方が吹きやすい、いや、こちらの方が音が

きれい等々とやることはできます。

ドイツのM社のが一番だ!と言うこともできます。

でも「理想のリコーダーの音」なんて概念は形成されてたでしょうか?

もしあったとしても、それは非現実的なマネキン人形ではなかった

でしょうか?

そんな物を「理想像」と呼んでいいんでしょうか?(笑)



ところが、このリコーダーには700年ぐらいの歴史があります。

全盛期は1500年代から1700年代です。

当時は、ツゲなどの木で作ってました。

ヴァイオリンと同様、名工がいたんです。

イギリスのスティンズビー親子(ジュニアとシニア)、ブレッサンなど。

私は何度かこの2つを吹かせてもらったことがあります。

ぶったまげますからね、頭をガツンとやられますからね!(笑)

Y社やZ社の製品とは、似ても似つきませんからね、

その辺の物は、どれも、足元に及びませんからね!

しかじかの理想があった?

そんなもの2秒で吹き飛びますよ(笑)



楽器でなくてもこれは当然起きます。

ポルシェに試乗します。

おお、すごい、なんたる加速、スピード!

でも、ケーターハム・スーパー7にも試乗してみてください。

加速はもっとすごい!けど、止まる、曲がる、おお、これは別次元!

街中の生活道路で150km/h安全に出せる!

ここまで来ると笑れて来ますからね(笑)



「理想のリコーダーはこうだ!」と言う人と「ブレッサン!」と

言う人が対談、対決します。

話は続きません。

「ポルシェ!」と言う人とスーパー7乗りが対談、対決します。

話になりません。

かたやサーキットで走るように考えられており、かたや公道でも

サーキットみたいに走るように設計されてるんです。



頭の中の虚像でなく、現実の最高峰を目指しましょう!

(自分の物にならなくても、です。)

それができるためには、経験と人間関係ですよ。

すごい現実を体験すると、自分の想像なんてちっぽけなもんだったと

思わざるを得ません。

打ちのめされますからね。

「現実は小説より奇なり」と言うじゃないですか!

うったえる有益だ(0シェアするブックマークする

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