ベルギーは大まかにゲルマン系でオランダ語に似たフランデレン語を話すフランデレン人(フラマン人)とラテン系でフランス語に似たワロン語を話すワロン人(ワルーン人)の二地域に別れています
(他に第一次世界大戦後にドイツから割譲させたオイペン~マルメディ地域にはドイツ人が居住している)
オランダを含め、ベルギーはスペイン領でしたが、オランダは独立
ベルギーの地域はカルヴァン派新教徒が多数を占めるオランダとは違い、カトリック教徒が大半でスペイン領として残りました
スペイン継承戦争後はオーストリア・ハプスブルク領となりますが
ブルボン朝からナポレオンに至るまでフランスはこの地域の領有化を常に狙っていました
(後のナポレオン3世も狙っていた)
ウィーン会議後、フランスに対抗する緩衝国家としてオランダを強化するため、オーストリア領ネーデルラント(ベルギーの地域)を併合させます
しかしワロン人の地域は当然フランス語が主流、フランデレン人の上流階級もフランス語を公用語のように使用、フランデレン語は中下層の農民の言語として扱われました
それに対しオランダは当然の如くオランダ語優遇の政策を取り、ワロン人やフランデレン人上流階級を起こらせます
それと同時にまだ独立していないベルギーの地域は19世紀初頭イギリスに次ぐ第2の産業革命地域になり炭鉱もあるワロン地域での鉄鋼業が盛んになり経済力もつけていた
また人口もオランダ本国の1.5倍もあり、分離独立運動が起きます
オランダはどうにか鎮圧しようとしますが、イギリスなどの支援により1830年に独立を果たします
しかしさほど年数が経たない内にフランデレン人の不満が鬱積します
切っ掛けはあるフランデレン人が犯罪を犯したとして捕まり、フランス語しか使われない法廷でフランス語のわからないフランデレン人が死刑判決を受け執行、その後に冤罪であったことがわかったことでした
ベルギーの憲法は民主的憲法の手本とされることが多いですが
その中に言語の自由が約束されていました
フランデレン人にとっては蔑ろにされるフランデレン語の復権のための自由ですが
ワロン人にとっては行政語、軍隊語もフランス語なので言語の自由は外国語を学ぶ自由とそれぞれ考え方が違いました
やがてフランデレン人の上流階級もフランデレン語への回帰が取り沙汰され、20世紀に入り更にフランデレン人の要求が高まり、フランデレン語の公用語化、連邦制への移行となっていきます
また産業構造も変わり、ワロン地域の鉄鋼業は斜陽となり、フランデレン地域での新産業が発展し経済的立場も逆転しフランデレン人が強い発言権を持つようになったことも影響されています