南北朝時代、足利尊氏は正平一統と言われる南朝への降伏をしましたか、あれは特に利点があったのでしょうか?観応の擾乱で弟の直義と戦っていた最中で、そちらに集中したい、というのはわかりますが、当時の南朝には新田義貞も楠木正成も、後醍醐天皇もおらず、無視しても良かったのでは?

1件の回答

回答を書く

1215586

2026-06-17 01:05

+ フォロー

ありますよ。南北朝合一による終戦という特大のメリットが。



史実の尊氏には、後醍醐天皇や直義への敵意は微塵もありません(北朝への思い入れは更にありません)。自分にそんなつもりはなかったが不幸な成り行きでこうなったと信じており、心の底から(後醍醐は既に亡いとは言え)南朝そして直義と和睦したかったのです(南朝が邪魔だったのは北朝であり、直義を討ちたかったのは義詮です)。

……この辺り、某『逃げ上手の若君』での尊氏の描写は、人間性という点で史実通りなんですな恐ろしいことに。



話を戻して。

尊氏は、心の底から南朝そして直義と和睦したいのです。北朝を廃して南朝を担ぐだけでそれが成るのなら、そうしない理由は尊氏にはありません。

ただし、南朝には、今更尊氏に担がれるだけの存在になることで満足する気は微塵もありませんでしたが(正平の一統を破って奇襲攻撃を仕掛けたのは南朝です。尊氏に違約の意思は見られません)。



なお、九州は言うに及ばず、京都と鎌倉をも短期的に回復する程度の力はありますよ、当時の南朝には。

うったえる有益だ(0シェアするブックマークする

関連質問

Copyright © 2026 AQ188.com All Rights Reserved.

博識 著作権所有