山本五十六は聨合艦隊司令長官。軍人としては立派な地位ですが、謂わば現場の大親分。その上に海軍大臣、軍令部総長がいました。
海軍大臣(嶋田繁太郎)は海軍の政務を担当し、実際の戦争は軍令部総長の永野修身が指揮しました。
御存じの様に山本五十六はアメリカとの戦争に大反対、永野にも強く反対意見を述べましたが、耄碌が始まっていた永野は東條英機に煽られて海軍を代表してOKを出してしまいました。
そして山本は「どうしてもやると言うのなら先ず真珠湾を」と。軍令部は反対でしたが永野の認可で実行。戦後、永野は東京裁判でA級戦犯に指定され、なぜ真珠湾奇襲攻撃をやったかと聞かれてこう答えた、「山本がやらせてくれなければ辞職すると言ったので、仕方なく許可した」
なんと言う情けない回答でしょうね。部下がグズッたから仕方なくやらせた、と。自分の無能、無責任を自ら認めた様なものです。
ミッドウェー島攻撃も同様で、軍令部の参謀たちは反対でしたが結局は山本に押しまくられて認可しました。
アメリカと言う史上最強の軍事大国を相手の戦争で、大日本帝国海軍の戦闘部隊の最高指揮官としてしっかりした戦略を持たず、その時、その時の強い意見に振り回される、、、
海軍内部での永野の評判は悪く、山本五十六戦死、アッツ島玉砕でそろそろ日本の敗勢が出始めた時になぜ元師になったか、日本海軍の七不思議の一つと言われました。
永野に付けられたあだ名は「ぐったり大将」。娘くらい年下の若い女性を妻にし(4人目)、家庭で精力を使い果たしてしまうのか(笑)、いつもぐったりしていて会議では居眠りばかりしていました。
そして戦争はボロ負け。 天皇もポツダム宣言の受け入れを決断し、日本が降伏する二日前の8月13日、永野は天皇にこう言いました。
「我が軍はまだ余力を残し、士気も旺盛ですので引き続き抗戦し、上陸して来る米軍を叩き潰すべきでございます」
国中が焼け野原になり、原爆を二発も落とされ、ソ連も参戦してきたと言うのに一体何を考えていたのでしょうね。これには天皇も呆れてしまった、と。
こう言う軍人に指導(笑)された日本海軍が惨敗したのは当然ですね。