94歳のご老人が人生のアドバイスとして『金持ちの家に生まれなさい』と語っている動画を見ました。94年生きてきて辿り着いた結論が、いわゆる「人生は親ガチャ」だという点に、強い言葉の重みを感じました。一方で、親ガチャという言葉に対して「努力が足りないだけ」「環境のせいにするな」といった自己責任論も根強くあります。しかし、冷静に考えてみると、・親の人間性・価値観・教育環境・家庭の経済力・精神的な安定・人脈や情報量これらは生まれた家庭によって大きく左右され、本人の努力だけではどうにもならない部分が多いのも事実だと思います。恵まれた環境に生まれた人が、自身の成功を「自分の努力だけの結果」と語り、うまくいかない人を「努力不足」と切り捨てるのは、スタート地点の違いを無視した議論ではないでしょうか。もちろん、親ガチャが全てで、何をしても無意味だと言いたいわけではありません。ただ、「努力できる環境にいること自体が、すでに運や環境に恵まれている」この視点を欠いた自己責任論には、違和感を覚えます。特に、日本はその自己責任論が根強いと思います。94歳の人生の大先輩が人生のアドバイスとして『金持ちの家に生まれなさい』という言葉に行き着いたことを、私たちは単なる諦めではなく、社会の現実を直視しろというメッセージとして受け止めるべきではないでしょうか。皆さんは、親ガチャや自己責任論についてどう考えますか?

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2026-02-23 09:55

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『金持ちの家に生まれなさい』『貧しいということは、水を飲むんでも雨水を貯めて蒸留して水を作ってから、無駄に飲み干さないように計算して大切に飲むということだ!水道を捻って飲める人達とは違う!スタートラインが違うんだからな!』

そう言い切りたいほど、困難に遭遇しながら生きてきた。それでもまだ人並みの幸せには、追いついていない。自分では操作できない、低カーストを持って生まれた人の言葉ですね。

貧しい生まれで苦労した人は、わかる言葉だと思います。

そういう成果の見えづらい人達を安易に切り捨てない社会であってほしいです。





自己責任で努力次第で幸せになれる人は恵まれていたり、運の強い人だと思います。

その人達ばかり讃えたり擁護するのは違うと思います。





10年以上前のテレビで、芸能人達がおばあさんに道を尋ねました。おばあさんの顔は曲がっているため、芸能人達を脅かさないように彼女は自分の顔を隠しました。理由を聞くと、おばあさんが幼少の頃の話を始めました。昔、お屋敷のお嬢様と遊んでいたら、おばあさんに叩かれたとお嬢様は地主である父親に嘘を言い、それを信じて地主はいきなりおばあさんの顔を革靴で蹴ったため、顎の骨が割れてしまいました。おばあさんの父親は、貧しく、その屋敷の門番でしたから、職を失う恐ろしさから、抗議もできず、自分の娘を守れませんでした。おばあさんの父親が人並みのものを持っていたら抗議するなり、防げたかもしれません。

私は、おばあさんと家族が不幸で理不尽だと思いました。

医者に通うお金もないため、普通の結婚は諦め、おばあさんは下働きづくめで、やっとお金を貯め医者に見せても遅すぎてしまいました。

貧しいと人権も軽んじられます。精神的に強く成長したくても世間の遮りに遭い、人並みの幸せを手にするのは、時間が何倍も掛かると思います。おばあさんだって、『金持ちの家に生まれなさい』と言うと思います。



地域猫を見てても思います。

餌の順番はボスからで、階級の低い若い雌猫から生まれた少年猫の番には何も残りません。何日も飢えて堪りかねた少年猫がボスから横取りするのは死ぬ程怪我をします。化膿して死ぬ場合もあります。カーストを超えるのは命がけなので、猫だったら、『強い親の元に生まれろ!生き延びられる可能性が大いにあるぞ!』と言うと思います。



本当に自分だけの力で勝ち取った人もいるでしょうが、殆どの場合、そう思い込んでいるだけで、なにかに恵まれいたからだと思います。



理不尽な境遇で努力している人達を、まだ結果が出ないからと、見捨てる社会にはならないでほしいです。彼らから真実を聞き出し、抜け出せるように、時には彼らの足底に手を突っ込む協力の仕方も大切だと思います。

うったえる有益だ(0シェアするブックマークする

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