平家物語の大三末についてです。姫君が兵衛佐に小松殿のことを打ち明ける場面で、「ありし殿上の淵酔に見初めたりし人の、ひたすら穂にあらわれて言ひし事を、聞かざりけれど、この世ならぬ心の中を知らせたりしかば。いかばかり、かくと聞かば歎かむずらむと思ひてぞよ」とあり、この「見初めたりし」の主語が小松殿らしいのですが、姫君が主語にならない根拠はあるのでしょうか。この世ならぬ〜の主語は姫君ですから、(姫君が)見初めた人が「ひたすら穂にあらわれて言ひしこと」を(姫君は)聞かなかったけれど、って続いても違和感ないと思うのですが、、、

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1290742

2026-08-17 03:55

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結論から言うと、読者にはわからないのが当然で、原文の表現が不十分なのです。より詳しい読み本系の一つでは、次のようになっている。こちらはふつうに読んで分かる。

「ありし殿上の淵酔に、小松左衛門佐(*維盛)の言ひしことのありしを聞き入れざりしかば、ひたすら穂に顕はれて、『この世一つの事に非ず。しかるべき先の世の契りもありけるにや。』とまで、心の中を知らせたりしかば、見そめたりしに、『後の世までもおなじ心に。』と云ひしものを、かくと聞かば、如何ばかり歎かんずらんと思ふに、心苦しきぞとよ。」

(源平盛衰記巻31「維盛妻子になごりを惜しむ事」)

質問の本文では、肝心の箇所が欠落している。これでは主語など取れるわけがない。論理的な読解は不可能だ。それは読者の能力ではなく、本文の問題なのだ。

以下は蛇足。

両本文の句読点に注目されたい。質問文では「知らせたりしかば。」、盛衰記では「知らせたりしかば、」句読点が異なる。句点で切っているのは、欠落箇所があること、文意に断絶があるという校訂者の認識を裏付けている。

したがってここは、注釈必須の個所だ。それを、注釈を付す代わりに、わざわざ設問化している。つまり確信犯的出題なのだ。こういう出題で受験生の古文読解力が測れる道理がない。それを承知の上で出題しているのだ。

恐らく早稲田大2023年入試問題だろう。あそこは全く悪質な大学で、故意にふつうに、すなわち論理的読解に適さない本文をわざわざ選んで出題する。現代文も同様だ。他にも類似の大学はある。中京大にも同種の出題があった。『いはでしのぶ』の、適切な本文ではない、わざわざ不完全な本文を選び、出題していた。同様の手口だ。

はっきり言って、入試に関して言えば、両大学ともにタチの悪い大学だ。現代文も同様だ。特に早稲田は、あのレベルにあって、入試が客観式テスト方式であることに、そもそも無理がある。

そこに大学の見識が透けて見える。日本の大学はガラパゴスなのだ。

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