*ネタバレ*人間標本の考察の意見が聞きたいです。至の共犯動機からの最後の父への願い。至は小さい時から父の蝶への深い愛情とその深い愛情があるものを薬で殺して標本にするという歪んだ愛を見ながら育ってきました。その過程は、最初に標本の作り方を知る場面で、視聴者も不気味な違和感を感じたのではないでしょうか?至自身も蝶へ向ける愛と息子に向ける愛が同じ愛ならとどこか父の愛に戸惑いを抱えていたように感じました。だから、常に父との会話には蝶を介することが多かったように思います。杏が死を犯した瞬間、愛情と殺害が同じなのかを目にしてしまったのではないでしょうか?だから、その場面を目の当たりにした瞬間、絶望感と杏を助けることで自分もずっと抱えてきた疑問が解るのではないかと、杏を哀れと同時に同情し、自分も知りたくなったのではないか?彼が最後に標本にして欲しいとお願いします。それは、父の愛は愛するものを標本にすることですか?それとも息子への愛は蝶と同じではなく殺すことなどできない愛ですか?との父への問いかけだったのではないでしょうか?史郎が泣き崩れたのは、至が息子を異常者ではなく至として守る為に、結果、蝶と同じように標本にすることだと思ってしまった。史郎自身が自分の毒で息子を殺してしまい絶望感に苛まれたのではないか?自分の毒が全ての始まりではないかと気づくのがあの最後に史郎に見えた蝶なのではないでしょうか?私は前編を見ながら、至の心の不安感をずっと感じて見てきました。皆さんはいかがですか?

1件の回答

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1224202

2026-01-16 07:45

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ほんとそうですね。
この父の愛とは。
愛でてるのに標本にしている、
標本でも大切にする。
自分が標本でも大切だろうが、標本にするだろうか、蝶より大切な愛にはできないだろうか。

至を死刑にさせないため標本にしてから身代わりになる事が最善と思い込みはじめたこと。

至が毒ではなかったと急に知り、ワタナベアゲハが山を飛んでいく風景、
オオベニモンアゲハがそこの窓から出ていくのをみて、
解明したことにより自分から最強の毒が抜けていくこと、
ルミより自分もしくは家が元凶だったと気付いたのかなと。
ワタナベアゲハが至なんですね。

至の標本にも2種類、自分も入ってんですね。

そもそも本当に至のことのショックで蝶が見える目になってしまって、
取り調べでの至原稿ネタを話す時も演技ではなかったのか。

至は綺麗なまま標本になることができると知っていた、
斧を使った時、後に引けないですから。
最後の晩餐、成人式みたいな服を買ってきたり写真撮ったり、お父さんは異変にきづいてて標本にしくれると知っていた、
もしくは本当に標本にするのかなぁ、蝶と同じかなぁと。
このカクテル飲んだら眠ってお別れ

至が、父がすることをわかっていた、
と感じてますが、
最後の会話も「小さいころルミ先生にあげた標本」を聴きながらってのが(T ^ T)
猛毒女になった人の綺麗な過去を聞いて、誰も恨まずにいたかったのか。
ルミちゃんを連れてった花畑という発端の場所で蝶になるためか。

史郎が悲惨すぎて救いようがない話です。
ドラマ何回でも観れます。

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