仏教大乗経典と、原始経典とでは、思想の深度が違う、という見解について、どう思われますか。それから、相手をブロックしておいてから、その相手の立てた質問に答える、という態度について、どう思われますか。それは、仏教を語る者の態度として、いかがなものでしょうか。自分は悟ったと言いながら、そのような態度を取る人もいます。間違った理解が流布されるのを避けるために反論する、という気持ちは分かりますが。でも、そんな態度では、自らの言説の信憑性を落とすことにしかならないと思うのですが。まあ、相手からの反論に心が痛むから避けたい、あるいは、延々と問答を繰り返すことになって、それが煩わしい、ということだとしたら、その心情は分かりますが、仏教者としては、議論で悟れるわけではないですが、議論の限界が見えるまで、とことんまでやるのが望ましい、と思うのですが。そして、ここが思索によるアプローチの限界だなと双方が思えたら、それは尚更に望ましいと思います。もちろん、それを強制は出来ないですけど。