釈尊滅後に、弟子たちが釈尊の説法を纏めるために経典結集を行い、釈尊の悟りを得るため出家修行者たちが解脱を求める上座部仏教が成立し、小乗仏教となりましたが、小乗仏教は修行者の解脱しか目的としておらず、一切衆生の救済には目を向けていないではないかとして、大乗仏教が勃興し、小乗と大乗の間で論争が起こり、竜樹が大乗を大いに宣揚しました。インドでのことです。
大乗仏教は、釈尊の教えを一般庶民に理解できるように、土着宗教、当時のインドではバラモンの思想を取り入れ、梵我一如とか輪廻転生という概念が発生しました。
中国に渡った仏教は、各派同士で釈尊の悟りは何だったのかという論争が活発に行われ、隋代の天台が法華経こそが釈尊の教えを伝える唯一の教典であるとして、教判を打ち立てました。
結論から言って、釈尊の説法は在世当時は、弟子たちが聴聞していただけで、文字では残されず、文字として記録されたのは経典結集の時です。
仏教の経典の多くが「仏陀はこう言った」という文句で始まっているのには、そういう事情があります。