ベルギー領コンゴの統治者レオポルド2世はコンゴで天然ゴム象牙を税として集め、義務を果たせない黒人たちの手足を切断し殺害した。
ベルギー王レオポルド2世がコンゴ人にやったことって地獄の責め苦だよ。
レオポルド2世(1835年4月9日 - 1909年12月17日)
1884年のベルリン会議にてコンゴを私有地として統治することを列強から認められた。
コンゴにおける治世の初期は、鉄道敷設やアラブ人奴隷商人による奴隷狩りから黒人を守るなど、コンゴの近代化に努める面もあったが、先住民を酷使して天然ゴムの生産増を図り、イギリスなどから先住民に対する残虐行為を批判された。
ベルギーは1830年にオランダから独立したばかりの新興国でヨーロッパの中では小国にすぎなかったが 隣国オランダがコーヒーブームに乗って植民地ジャワから莫大な利益を吸い上げているのを見て、ベルギーにも植民地が不可欠であると確信する。
コンゴは天然ゴム、象牙、ダイヤモンド、金、銀、銅など魅力的な資源が数多くあるにもかかわらず、ヨーロッパ人の「発見」が遅れたことから、未だ列強の手がほとんど付けられていない「空白地帯」だった。
イギリスでパトロンを見つけられなかった探検家ヘンリー・スタンリーのパトロンとなり、1879年から1883年にかけてスタンリーにコンゴ川流域を探検させ、そこに数々の中継地を作らせるとともに、先住民部族の部族長たちと独占的な貿易協定を締結した。
コンゴがレオポルド2世の個人的私有地であることが認められた
コンゴ統治
手を切り落とされるコンゴ人を尻目にコンゴで儲けるレオポルド2世を批判した風刺画
こうしてつくられたのがレオポルド2世の私領「コンゴ自由国」であった。
専制君主として君臨した。コンゴ統治を委ねられた直後のレオポルド2世は巨額の私費や国内外の投資家の投資を募ってコンゴの近代化を推進した。ベルギー本国の75倍もの国土がある。
だが、まもなくレオポルド2世は利益の回収を最優先にするようになった。1891年と1892年の勅令によって最も収入が期待できる象牙と天然ゴムを自分の独占事業にし、とりわけ1890年代半ばから急速に需要が高まっていた天然ゴム採取を急がせた。1893年まで250トン足らずだった天然ゴム生産量を1901年には6000トンにまで高めさせた。しかし、それは先住民の過酷な労働の上に成り立っていた。最も重要な資源である天然ゴムにはノルマ制が設けられ、生産量が足りない場合には手足切断した。
過酷な圧政によってコンゴの人口は1885年にコンゴ自由国が建設された時点(3000万人)と比べて70%減少し、900万人まで減少したといわれる。
この後、ベルギー議会の決議によって手首切断などの中世まがいの残虐刑は禁止された。
レオポルド2世は世界一の金持ちになりプレイボーイとして名を馳せたが王が支配した15年間ニコン後の人口は2000万人から900万人に激減したという。
手を切り落とされたコンゴ人たち