釈迦は悟らされたのではなく、悟ったのだとみなしたいという日本の仏教徒のこだわりのようなものを感じてしまった私がおりました。他力か自力かということで、仏教も分かれているように思います。他力と自力を統合したような見解というのはないのでしょうか。https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13323508688

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1101610

2026-04-07 17:40

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>他力と自力を統合したような見解というのはないのでしょうか。



自力の末に他力の恵みが得られるというものです。



その意味は自力の末に、自分の悪い癖が一つ取り除かれると、世間の光が心に入ってきて心が幸せに満たされるというものです。世間がそもそも明るい光に満たされているからその様なことが起きるので、その世間が明るい光に満たされているということが他力なのです。その他力の光が自分の心の中に入ってきて、自分もその世間の仲間に少し成れたということです。仲間に近づけたことに喜びを感じるのです。



悟りとはその完成と思われますので、少しづつ自分の悪い癖を取り除いていった末のことです。その途中の少しずつ悪い癖が取れた時には、取れたことが分かりますので、その繰り返しの末の最後の時にも取れた、悟ったと感じると思います。完全に自分の心から悪い心が取れた時、どんな感じがするのでしょうか。仲間になれたと感じるのでしょうか。

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