明王朝の四代皇帝の洪熙帝は三代皇帝成祖永楽帝朱棣の長男です。仰る通り、洪熙帝はデブだったそうです。でも、洪熙帝は永楽帝がモンゴル親征をしている間留守の紫禁城を任されその間監国として変わりに政治をしていたので、洪熙帝は決して愚かな後継者では有りません。寧ろ、洪熙帝が監国として有能だったからこそ父親の永楽帝はモンゴル親征の遠征が出来たと言えるでしょう。洪熙帝は永楽帝の死後僅か、1年間の皇帝の座に有ったかも知れませんがその間良く明王朝を安定させたからです。洪熙帝の死後、後を継いだのが長男で五代皇帝宣宗宣徳帝です。宣徳帝は祖父の永楽帝に非常に可愛がられたのです。この五代皇帝宣宗宣徳帝も祖父の永楽帝に似て名君だったからです。明王朝276年の内、まともな名君の皇帝はこの五代皇帝宣宗宣徳帝迄なのです。六代皇帝の英宗正統帝から最後の毅宗崇禎帝迄の皇帝はほとんどぼんくらの暗君ばっかりだったからです。だから、明王朝は六代皇帝英宗の頃から宦官が権力を握り、明王朝は腐って行くからです。明王朝も後漢王朝と唐王朝と同じく、宦官によって滅んだからです。以上が漢民族最後の王朝明です。