ある方が次のような自説を披露されました。私とは見解を異とするのでそれに回答しようとしましたが何故かそれができない設定にされています。仕方がないのでここで私なりの回答をここで提示したいと思います。ご意見をいただけたらと思います。>「仏教は縁起」だとおかしな主張をする人が何人もいます。お釈迦様は縁起の世界は無常で苦であるから、縁起のある迷いの世界からの解脱を説かれ、無常ではない涅槃を目指す道を説かれたのです。(私の意見)大乗仏教の思想では、「縁起・無常」は現象世界において単独で物事が永続的に存在したりしないということであり、それは宇宙の真理(法そのもの)であり、それを否定したり、そこから逃げ出したりすることはできない。そこで取るべき態度としては・自我を主張しない(無我の徹底): 縁起している(実体がない)という真実を徹底的に受け入れ、「私」という不変の実体(自我)への執着を捨てる。・そのまま受け入れる: 無常である現実を、無常であることをそのままに受け入れたとき、もはや苦は生じない(煩悩が消える)。・涅槃: その状態こそが、煩悩が消え去った涅槃(安心の境地)である。・その涅槃の状態もいつまでもキープできない、縁起により無常するのである。

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1195889

2026-03-20 20:20

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自分は坐禅で悟ったから真実が分かる、と言っていながら、反論者をブロックする、という人のことですね。



悟って真実を知ったが、反論されるのは嫌だ、耐えられないということでしょう。



面白い悟った人だと思います。



坐禅で特別な体験をして、それを悟りだと勘違いして慢心してしまったというのが、本当のところだと思います。



だから、自分の未熟さに気づけないと。



そして、そもそも読解力に難点があるから、頓珍漢なことを言ってしまうと。



大乗の祖師とされる龍樹の主著である中論に以下のように書かれています。



>滅することなく 生じることなく

断たれることなく 常住ではなく

一つではなく 異なることなく

来ることはなく 出ることはない

多様な想いの止滅という

縁起を示された仏を

最高に優れた説法者として礼をいたします。



https://zero29.seesaa.net/article/a13294102.html



(引用終わり)



縁起=無自性=空。



かの人は、その意味も頓珍漢に理解していると思われます。



なぜなら、読解力に問題があるから。



そして、それを認めたくないから、経典など読まなくていい、坐禅するだけでいいのだ、と強弁するのでしょう。



経典など捨てろと言った禅の祖師は、経典を十分に学んだ人なのに。



ちなみに、臨済も道元も、最初は経典を学ぶことを勧めていますね。

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