おかずの使いまわしは、明治時代の特殊な階級内だけです。
明治時代には軍隊や学校の残飯を払い下げてもらい貧民に売る残飯屋があり都内では芝、下谷、四谷と東京を囲むように貧民街があり、そこで残飯を調理し直して販売していました。
また、遊郭のような場所では残飯は売上の低い遊女が皆食べてしまいました。
一般庶民の間では残飯を出すことが礼儀が悪いと躾けられており各自が御膳で食事しましたので、フェイジョーダやビビンバのような残飯料理系のごった煮や混ぜ飯は少ないです。
例外的に鍋料理は食べる順序で後になる使用人や下女には残飯を食べている感じは残ったと思います。
衛生面でヤバかったのは、出会う可能性が低い残飯よりも屋台の茶碗です。
今のように使い捨てではなく食器はリユースで洗っていましたが、この水が手桶の水の使いまわしでした。
今でもアジアの屋台街では水道の有無で店の安全性や質を確認しますがアレです。