こんばんは
幕末の1863年から1864年にかけては、尊王攘夷を掲げる勢力が、公武合体派)によって追い詰められていく激動の期間です。
時系列順に流れを記載します。
1. 1863年8月の天誅組の変
・土佐藩の吉村虎太郎らが、大和国で挙兵した事件です。
孝明天皇の大和行幸を攘夷の親征として、先導しようとしましたが、直後の八月十八日の政変で計画は頓挫して、孤立して鎮圧されました。
★2. 1863年8月18日の八月十八日の政変(重要なので★つけました)
会津藩・薩摩藩などの公武合体派が、京都から長州藩と三条実美ら急進派公卿を追放したクーデターです。
これにより、長州藩は中央政界での勢力を完全に失いました。
3. 1863年10月の生野の変
但馬国の生野銀山付近で、福岡藩の真木和泉らが挙兵した事件です。
天誅組と同様に、八月十八日の政変後の巻き返しを狙いましたが、失敗に終わりました。
4. 1864年6月の池田屋事件
京都に潜伏していた長州藩などの尊王攘夷派を、新選組が襲撃した事件です。
有力な活動家が多く殺害・捕縛されたことで、激昂した長州藩士たちが京都へ攻め上ろうという強硬論に傾くきっかけとなりました。
5. 1864年7月の禁門の変(蛤御門の変ともいいます)
池田屋事件を受けて、長州藩が失地回復のために京都へ軍を進め、皇居付近で会津・薩摩藩などの守備隊と衝突した戦いです。
長州藩は敗北し、さらに天皇の住まいに向けて発砲したとして朝敵となりました。
6. 1864年7月〜の第一次長州征討
禁門の変で朝敵となった長州藩を討伐するため、幕府が諸藩の大軍を動員しました。
同時期に四国艦隊下関砲撃事件で打ちのめされていた長州藩は、戦わずに降伏しました。
責任者の家老らを切腹させ、幕府に恭順する姿勢を見せました。
という流れです。