不妊治療や妊活している人に、周囲が職場や日常生活で「当然のように」気遣い、配慮し、特別扱いしなければならないという風潮はおかしくないでしょうか?病気や事故のように本人の意思と無関係に降りかかったものとは異なり、不妊治療や妊活は 本人の価値観に基づく選択 です。辛いと感じること自体を否定しませんが自ら選んだ選択の結果として生じた負担を他者が継続的に庇護し、感情的ケアまで担う意味がわかりません。「妊活日記」「不妊治療ストーリー」として美化し共感・称賛・配慮を前提とした“被害者ポジション”に自らを置くことは、本来は 私的な選択であるはずの問題を社会に転嫁している ように見えます。選択した道が過酷だったからといって、周囲が常に感情的なクッション役を求められるのは違いますよね?

1件の回答

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1034684

2026-01-10 06:10

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当然のように、がどのレベルかにもよりますけど、自分ができる範囲内で、またはやってもいいと思える範囲内でサポートすればいいと個人的には思います。



そのためにはサポートを受ける側の態度ってとても重要で、応援してあげたいと思われる振る舞いを普段からするべきです。



感情のクッション役を当然のように求められるのは違うと思います。

ただ、会社が認めている範囲内(本人の有給等の範囲内)で治療を行うのであれば、業務の交代は会社員として当然かなと思います。まぁ人間なので不満に感じるのは無理はないですが。

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