なぜ自分の無知や無関心を正当化しようとする人がいるのでしょうか?確かに誰もが森羅万象を知っているわけではないですから、知らないことや関心がないことはあります。僕だって世の中には知らなことや関心のないことはいくらでもあります。それを指摘されて、自分の無知や無関心を正当化しようとするのはどう言う心理から来るのでしょうか?いちいち知らない。いちいち見ていない。いちいち関心がない。知らなくても当然だ…等々。僕なら、今度からよく注意して見ておこうとか、少しは関心を持ってみようかな、とか、考えることで、人間としての成長が少しでもできると思うのですが…。自分の無知や無関心を正当化したら、その時点でその人の成長は止まってしまうと思うのですが…。

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1124041

2026-02-09 03:20

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知らないことはそれ自体はなんの問題もありません。だから正当化する必要もない単なる事実です。誰だって知っていること以外は知らないものです。

関心についてもまったく同じことが言えます。当方は◯◯◯48系については何も知らないし関心もありませんが、それを正当化する気もありません。なじられたことはないし、仮にあっても勘弁してくれと笑って終わりです。

ただし、何がしかの知っているべき理由があるのに知らない、または知ろうとしないのは怠慢の誹りを免れないでしょう。

例えば忘年会の幹事を任されたのに、会場や予算、会費などについて何も知らないは通用しません。正当化はできません。

人間は社会的な存在ですから、何らかの集団の中で必要に応じて役割を果たして生きていて、その役割に応じて責任や権限はあります。その集団とは家庭から国家まであらゆる規模があって、その中にいて負った責任に応じて知っておくべきことはあります。

それ以外のことは本人の関心次第で、関心がないことは知らなくても何の問題もないし、正当化する必要もないことです。興味がないから知らないというのは正当化ではありません。単なる事実です。

再来年の2027年はベートーヴェンの没後200年になりますが知ってましたか?知らなくても構わないし正当化する必要もありません。そういうことです。無知だの無関心だのとは誰も言いませんから。

うったえる有益だ(0シェアするブックマークする

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