ひとつ事実として知っておいていただきたいのは、彼の影響でシャーペンにこだわった中高生時代を過ごした人の大半は、大学生や社会人になったときにお高いシャーペンをやめています。
たかがシャーペンなのです。
万年筆のように、人生を共に過ごして夫婦のようだ老朋友のようだ(いずれも開高健「生物としての静物」より)と認め合う仲ではないのです。
「コツコツ感」「書き味」といっても、その程度のものだとご理解ください。
いや逆に、開高健が1本のモンブラン149を愛したように人生の戦友として1本のシャーペンを愛せるのであれば、その愛は本物と言えるわけですが。
どうですか?
たとえばの話、質問者様のコレクションのうち1本でも、10年後、20年後、言うなれば、しーさー氏のTouTubeチャンネルがすっかり廃れた後も、直し直し使い続けていそうなシャーペンはあるのでしょうか? 死んだら墓に一緒に埋めてくれというようなシャーペンはあるのでしょうか?
そうでないものは捨て置くがよいです。どのみち飽きて触らなくなってしまいます。
人生の価値と分かちがたく結びつく1本なのか、ただのコレクションなのか。
まさに文房清玩と玩物喪志の分かれ目です。
それにしても「生物としての静物」、名著ですよ。
「この一本の夜々、モンブラン」という一篇だけでも一読の価値があります。
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