明治政府は、欧州並みレベルの社交界の成立を目指して『鹿鳴館』を立ち上げましたが、国民からの批判やモデルとなった諸外国からの嘲笑でわずか数年間でやめてしまいます。世界に対して精一杯見栄を張った明治政府といえども、経済行政軍事法体系など近代国家の実質的な基盤整備を進める事のほうを優先したのなら堅実でしかも国民のニーズをくんだ判断だったとぃうことだった のでしょうか?でも、これが令和のコスプレ文化につながっているとすれば、先人たちの『百年の計』に敬意を表するばかりですね。

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1249957

2026-05-13 13:10

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社交を目的とした施設といえば聞こえは良いが、その実態は外国人専門の売春宿だったから、国内で非難が高まるのも無理はなかった。

「三せる」だよ。(酒を)飲ませる、(金を)握らせる、(女を)抱かせる。お国のためだから誰も反対できなかった。国辱的な建物だ。そんなこと教科書には書いてないが。

うったえる有益だ(0シェアするブックマークする

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