哲学の質問をします。幸福について。人間は昔、食べることも長生きすることも困っていた人が沢山いました。戦争もありました。今も戦争はあるし、その生命を維持することに困っている人はいますが。しかし、世界の先進国である程度の経済が一定に回っていて、ある程度平和になって国で一定の段階までは、命の安全は確保されてます。これは幸福だと思います。戦争してた時の日本に比べたら。それで良いのに、それが幸福だと当たり前になっているので人がきづけない。今の日本で幸福になるには、脳を含めた心身の先天的健康があり、さらに顔が良い人が、普通の家庭に生まれると努力が報われる環境が整いました。だから今の日本では、幸福になるには先天的な生まれによって左右されます。例えば親ガチャって言葉がそれを示します。昔、戦争があった頃に比べたら、今の日本は幸福だらけです。しかし、ニュースの犯罪を見ると、コミュニケーション能力、お金、健康のない犯罪者が事件を起こしたってニュースとかあるし、ネットで自分と他人を比較して、プライベートなこと自分は他人より例えば青春を出来ているか?考えて、そこで幸福を確かめています。例えば、それが勝ち組負け組って言葉です。戦争があったころから比べれば奇跡の様に安全が確保されて、生きていける幸福は、今の日本人には理解でなくて、健康とか、コミュニケーション能力とか、顔で幸福になれるか?を気にしています。この違い、人類にとってこの幸福へのアプローチの仕方、求め方、前提や達成条件の変わりようは、一体なんですか?ここで予測出来るのは、経済と医学が発展して、教育も発展したら、みんな整形して顔が良くて、学校終わった後に喋り方教室に通ってみんな面白い話しができて、病気してもみんな健康になったら、それが当たり前になり、それを幸福と思わなくなる。次世代人類の幸福の定義は変わるフェ-ズに来たら、今度は天才的な絵を描くとか、オリンピックで金メダル取るとか、文学や平和で賞を取れるごくごく一部の人間しか幸福になれないのでしょうか?と切りがない。この問題、そもそもなんで起こるのでしょうか?