結論から言うと、武家社会において女子が血縁者に殺される例は「存在したが、非常に少なく、だからこそ史料上で強く印象に残り、有名になった」というのが、現在の歴史研究に基づく整理です。まず前提として、あなたが挙げた
・源頼朝と源義経、
・織田信長と織田信行、
・徳川家光と徳川忠長
といった「男子兄弟の殺し合い」は、家督=軍事・領地・政治権力を巡る構造的必然でした。武家において家督は基本的に男子が継ぐため、競合者は排除対象になりやすかったのです。
一方、女子は原則として家督継承者ではなく、婚姻による同盟資源と見なされました。このため「殺すより嫁がせる」方が合理的で、結果として女子の殺害例は極端に少なくなります。
それでも例外はあります。たとえば、於大の方は、今川と敵対関係に陥った結果、松平家から追放され、事実上「政治的に切り捨てられた」存在です。殺害には至らないものの、血縁であっても政治構造次第で冷酷に処理されうることを示します。
また、戦国期には「人質」として差し出された女子が、主家滅亡や裏切りの報復として処刑される例もありました。ただし多くは非公式処分で、記録が乏しく、後世に名前が残りません。ここが重要な点です。
・女子が殺されなかったのではない
・殺された事例が少なく、記録にも残りにくかった
・だからこそ、確認できる事例は強烈に「例外」として語られる
この「希少性そのものが有名性を生む」という構図が、女子の殺害事例を特異なものとして私たちの記憶に刻ませています。武家社会は冷酷でしたが、同時に極端に合理的でもありました。その合理性が、皮肉にも女子の生存確率を押し上げていた――このねじれた事実こそ、武家社会の不気味なリアリズムです。