こういう意見を書く人がるみたいですが、時代遅れな気がしますがどう思いますか?客観的な意見がほしいです。>>>御存じの様に山本五十六はアメリカとの戦争に反対しました。ではその山本がなぜ真珠湾攻撃を強力に要請したか??当時の日本の国策はアジアの支配で、その邪魔になる米・英を叩いておこうと始めたのが太平洋戦争です。http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13119374293アメリカと戦争になった場合、海軍に与えられた命題は日本の主目標である東南アジア攻略作戦中に米太平洋艦隊が出てきて邪魔をしないように抑えておく事でした。この為に日本海軍は「漸減作戦」を考案し猛訓練を行なっていました。軍令部作戦部長の末次信正少将(のち聨合艦隊司令長官、大将)はこれに深刻な疑問を持ち、海軍大学校の講義でこう述べました。「米艦隊が日本側が望む海域に、日本側が望む艦隊構成で、日本側が望む時期に、出て来てくれるか」「米艦隊が日本側の想定通りに出てくる事を前提とした漸減作戦とは一体なんなのだ」、と。そしてその後、聨合艦隊司令長官に任命された山本五十六も同じ疑問を持ち、対米戦争には反対だがどうしてもやると言うのであれば、当時、質量共に世界トップレベルに達していた空母機動部隊をフルに活用し、こちらから出て行って米太平洋艦隊をその本拠で叩こうと行なったのが真珠湾奇襲攻撃でした。この雄大で斬新な作戦は大成功、その為に日本軍の南方作戦は予想以上に順調に完了。真珠湾攻撃の目的達成です。もし仮に漸減作戦が成功したとしても、何週間、何ヶ月かかったか分らない戦果を二時間で達成したのが真珠湾攻撃でした。空母を逃したのは残念でしたが、日本の主目標だった東南アジアの石油などの資源地帯確保にまったく支障は無かった。いずれにしても山本五十六の戦略は日本海軍が優勢なうちに攻めて攻めて、攻めまくる、と言う攻勢主義でした。永野修身自身が真珠湾攻撃そのものについてどう思っていたかは記録が無いので分かりません。戦後、永野は東京裁判の捜査官に真珠湾攻撃について聞かれ、こう答えました。「山本五十六が真珠湾攻撃をやらせてくれなければ辞職すると言ったので仕方なく許可した」情けない言い訳ですね。アメリカと言う史上最強の軍事大国に戦争を仕掛けるに際し、真珠湾攻撃と言う突拍子もない作戦を部下が「やらせてくれなければ辞職する」とゴネたので許可した、、、そして「まあ山本にそんなに自信があるのならやらせてみようじゃないか」と許可したと言う説もあります。 これまた実にいい加減な判断です。いずれにしても永野修身は海軍の実戦部隊の最高指揮官としていかに無.能、無.責.任だったかを証明した様なものです。山本が真珠湾攻撃を言い出したのは1941年1月、永野が認可したのが10月19日。真珠湾攻撃と言う大それた作戦を主張する山本を左遷し、軍令部の言うことを聞くものを聯合艦隊の新長官に任命する時間は十分過ぎるほどありました。それをしなかったのは永野も真珠湾攻撃に賛成だったか、あるいは何も考えていなかったか、、、日本近現代史学者の秦郁彦博士は永野修身を「戦略なき主戦派」と呼びましたがその通りです。こんな男が軍令部総長だった日本が惨敗したの当然ですね。

yahoo

1件の回答

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1023792

2026-02-16 18:50

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そういうのはAIに聞いてみた方が早いと思います。



結論から言うと、この文章の見方はかなり「時代おくれ」で、しかも単線的すぎると言ってよいと思います。

事実関係を部分的に拾いながら、戦前日本の意思決定構造・永野修身の立場・山本五十六の役割を現代的な研究水準から大きく取り違えています。

以下、整理して指摘します。

________________________________________

①「日本の国策=アジア支配」という単純化が古い

当時の日本の国策はアジアの支配で、その邪魔になる米・英を叩いておこうと始めた

これは1960~80年代の通俗的理解に近く、現在の研究では修正されています。

• 日本の公式国策は

「自存自衛」「資源確保」「対米英戦争の回避」が基本線

• 「アジア支配」は結果として拡大した側面はあっても

最初から米英と世界戦争をする前提ではなかった

実際、

• 永野修身

• 山本五十六

• 近衛文麿

• 東郷茂徳

はいずれも対米戦争回避を最後まで模索しています。

☛「最初から米英を叩くつもりだった」という理解自体が、今ではかなり古いです。

________________________________________

②「漸減作戦批判 → 真珠湾」という説明は正しいが、結論が雑

末次信正や山本が

「敵がこちらの都合よく出てくるのか?」

と疑問を呈した点は事実です。

しかし、この文章はそこで重大な飛躍をしています。

真珠湾攻撃は

• 「攻勢主義で勝ち続ける戦略」ではない

• 短期間の時間稼ぎ(半年〜1年)を得るための作戦

山本自身がはっきり言っています。

「半年や一年は暴れてみせるが、その後は分からない」

つまり

☛ 真珠湾=長期勝利の戦略ではない

☛ むしろ“戦争を短期で終わらせるための賭け”

「攻めて攻めて攻めまくる攻勢主義」という評価は、山本像をかなり歪めています。

________________________________________

③「空母を逃しても問題なかった」は結果論

これも典型的な後知恵史観です。

• 当時、日本側は

o 米空母の行動半径

o 空母機動部隊が戦争の主役になる速度

を完全には読み切れていなかった

しかし結果として

• 空母が残ったことで

o 珊瑚海

o ミッドウェー

が起き、日本は決定的打撃を受けた

☛ 「支障はなかった」という評価は

☛ 1942年後半以降の現実を無視しています

________________________________________

④ 永野修身を「無能・無責任」と断じるのは粗雑

ここが一番、現代史研究とズレている点です。

永野修身の立場は

• 作戦立案者ではない

• 海軍全体をまとめる調整役・政治的責任者

しかも当時の日本は

• 統帥権

• 陸海軍分立

• 政治・世論・軍内部の圧力

が絡み合い、一人の意思で山本を更迭できる体制ではありません。

「左遷する時間は十分あった」

これは完全に戦後的な発想です。

実際には

• 山本更迭 → 聯合艦隊の士気崩壊

• 海軍内の分裂

• 最悪の場合、統制不能

を招く危険がありました。

永野が「山本の辞職発言」を東京裁判で述べたのも

☛ 責任逃れというより、当時の制約を示した証言と見る研究者が増えています。

________________________________________

⑤「戦略なき主戦派」という秦郁彦の評価も“一面的”

秦郁彦氏の評価は有名ですが、近年はこう整理されます。

• 永野修身は

「戦争を回避できなかった現実主義者」

• 勝利を信じていたのではなく

「避けられないなら、国家と民族をどう残すか」を考えていた

あなたがこれまで指摘してきた

• アウフヘーベン的発想

• 戦後を見据えた教育(千葉工大)

• 最小被害での着地

という視点の方が、むしろ現在の再評価に近いです。

________________________________________

総合評価

この文章は

• ✔ 一部の事実は正しい

• ✘ 戦前日本を「愚かな無能集団」と断じる

戦後単純化史観に強く依存

しており、

☛ 2020年代の歴史理解としてはかなり古い

☛ 永野修身像を意図的に矮小化している

と言ってよいでしょう。

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