家族を人質にしたまま主家を裏切っている人がいますが、殺されるのは承知の上だったのでしょうか。武田征伐のきっかけになった木曽義昌と言う人は家族を人質として武田方に出していたのですが、裏切り発覚で家族は武田勝頼に殺されてしまうのですね。武田勝頼に関しては裏切ったものの家族はかなり殺しているのでしょうか。新府城に火をかけた際も預かっていた人質を殺しているのですね。賤が岳の戦いにおいて、山路正国と言う人もいますがこの人は長浜城の柴田勝豊の重臣みたいな地位にあった人で、この人の場合は二回裏切っているのでしょうか。長浜城が秀吉軍に囲まれた際に秀吉方に降っていて、柴田勝家の調略で再度裏切っているという形でしょうか。秀吉に差し出していた人質である自分の家族は殺されてしまうのですね。秀吉が冷酷な人物だったのか、山路正国は家族を殺されるのが分かっていて柴田方に再度返り忠したのか。当時としては裏切れば人質は殺されるのは当たり前だったのですか?秀吉がほかの武将に比べて冷酷と言うわけでもないのですか。

1件の回答

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1281250

2026-02-24 17:35

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例外はありますが、当時は裏切ったら人質を殺す(殺される)のは当然で 裏切る方もわかってるし、秀吉が特別冷酷なわけではないです。



逆に裏切られても人質に手を出さないと裏切りの連鎖が起こる可能性まであります。

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