古代の音韻で考えると「斥」と「坼」とは同一の音韻に属し、発音も大変似ており、また「坼」字は「斥」を声符とするために、この二文字は当時通用していたのである。つまり封泥の「坼」は、実は『尓雅•釈地』に記載する「斥山」であり、現在の斥山である。
秦の始皇帝の東巡の歴史に詳しい人ならば、始皇帝が六国を統一してから、何度も東巡しており、その内2回は成山に到達したことを知っているであろう。初めは紀元前219年、皇帝即位の三年目であり、当時彼は東方の郡県を行き、渤海に沿って東進し、黄県、腄(つい)県を通過して成山に行きつき折り返した。二度目は紀元前210年であり、彼の最後の東巡で、同様に成山を訪れた。成山が秦の始皇帝を二度も引き付けたのは、当時の人々が「天の尽きる頭(みさき)」と見なしていただけではなく、ここが「太陽神」を祭る聖地であり、不老不死と、統治を強固にすることを追求した始皇帝にとって特別な意義があったのである。
斥山と成山はほど近く、始皇帝が二度成山を訪れた際には斥山にも音連れ田可能性がある。「坼禁丞印」の「禁」の字は、古代にはいつも皇室の禁域や禁苑に関連しており、「禁丞」とは皇室施設を管理する役人である。