結論から申し上げますと、「そのような主張(投稿)が存在する」のは事実ですが、歴史学上の「定説」としては認められていないというのが、最も誠実な回答になります。
このお話の背景と、なぜ議論が分かれているのかを整理して解説します。
1. 根拠となっているソースは何?
この話の元ネタは、1945年8月19日付(終戦直後)の『シカゴ・トリビューン』紙に掲載されたウォルター・トロハン記者による記事です。
記事の内容: 「1945年1月のヤルタ会談の2日前、ルーズベルト大統領はマッカーサー将軍から『日本側が提示した降伏条件(天皇の地位保全以外は全面降伏に近い内容)』を含む40ページの覚書を受け取ったが、それを一蹴した」というものです。
マッカーサーの反応: 後年、マッカーサー自身もこのメモの存在を肯定するような発言をしたとされています。
2. なぜ「定説」ではないのか?
多くの歴史学者がこの説に慎重、あるいは否定的であるのには、いくつか大きな理由があります。
日本側の公式記録との矛盾: 当時(1945年1月)の日本の最高戦争指導会議は、まだ「一撃講和(一度大きな勝利を収めてから有利な条件で講和する)」を狙っており、天皇の地位保全だけで降伏するという公式な方針は決まっていませんでした。
「非公式ルート」の限界: 当時、スイスやスウェーデンなどの窓口で日本の外交官や海軍関係者が独自に和平工作を行っていましたが、これらは日本政府の正式な全権を持たない「打診」に過ぎませんでした。アメリカ側はこれらを「日本軍を分断させるための策動」あるいは「政府の一部の勝手な動き」と見なしていました。
ルーズベルトの「無条件降伏」方針: 当時の連合国は「無条件降伏」を絶対方針としていました。仮に条件付きの打診があったとしても、当時の勢いでは受け入れる土壌がなかったと言えます。
3. 原爆投下との関連について
「降伏の意思があったのに原爆を落とした」という点については、現在も激しい議論が続いています。
肯定派の視点: 「日本はすでに戦意を喪失しており、ソ連参戦や海上封鎖だけで降伏したはずだ。原戦投下は日本を屈服させるためではなく、戦後の対ソ連優位を築くためのデモンストレーションだった」という説(歴史修正主義的視点)があります。
否定派(米政府などの公式見解)の視点: 「日本軍は本土決戦を準備しており、原爆を使わなければ米兵に数十万人の犠牲が出た。早期終結のために不可欠だった」としています。
結論としての見方
お聞きになったお話は、「米国内の一部(特に反ルーズベルト派やマッカーサー支持派)から出た内部告発的な記録」に基づいています。
しかし、当時の日本政府全体がその時点で「降伏」を決定していたという事実は確認されておらず、「日本政府の正式な降伏提案をアメリカが無視して原爆を落とした」とまで言い切るには、歴史的な証拠が不足しているというのが現在の一般的な理解です。