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「这应该是从浚仪到睢阳(今商丘市南)的汴渠的一段,汴渠连接黄河与淮河,漕运可以由淮入泗,到彭城(今徐州)后可转入汴渠,西通黄河,这样将黄河与淮河水系连通起来。」
水利の専門家の文章によると、
三国志武帝紀のこの
建安七年の「遂至浚儀,治睢陽渠」で黄河と淮河を繋げった、
それでも徐州から迂回する必要があった。
その前の建安五年か六年の劉備が北から川で南の汝南へ向かうのは不可能です。
地図で川は繋がってるように見えますが、
実は黄河流域と淮河流域の間には分水嶺があります、
川はこれを境にそれぞれ北へ/南へ流れてたので、
直通はできません。