宗教と「正義のための戦い」の話は、とても誤解が生まれやすいテーマですよね。できるだけ事実に沿って、かつ偏見を広げない形で整理してみます。
宗教と暴力の関係
宗教学や社会学の研究では、「どの宗教か」よりも、「政治・民族・社会状況」が暴力を生む主因とされることが多いです。
宗教はスローガンや正当化の言葉として利用されることはあっても、単純に「この宗教だから暴力的」という因果関係は成り立たない、という結論が繰り返し示されています。
イスラム教に関して言うと、世界的に信者数が増えているのは事実ですが、その主な要因は出生率や信徒の平均年齢の若さといった人口動態によるもので、「戦う人が多いから」ではありません。
また、イスラム教徒の圧倒的多数は、普通に生活し、仕事をし、家族と暮らす人々であり、武装闘争に関わる人はごく一部です。過激派組織がイスラムを名乗ることから、メディアを通じて「イスラム教=戦う宗教」のような印象が強調されやすい、というメディア研究の指摘もあります。
したがって、「他宗教よりイスラム教徒には正義のために戦う人が比較的多いか」という問いに対しては、研究の蓄積から見ると「そうとは言えない」「宗教よりも政治・社会状況の影響が大きい」と答えるのが妥当だと思います。
日本の反戦運動と「布教」イメージ
戦前・戦中には、海外で日本の戦争に反対した日本人組織など、命がけの反戦活動もありましたし、戦後も学生運動や市民運動としてさまざまな反戦・平和運動が行われてきました。
一方で、冷戦期以降の一部の運動には、例えば
日本や自国社会を一方的に悪とみなす極端な言説
特定のイデオロギーや政党の支持につながる“セット”の主張
が混ざっていたものもあり、「反戦」というより「特定の政治的立場の宣伝・布教になっているのでは」との批判が出たことは確かにあります。
ただし、これは「日本の反戦運動全体が布教目的だった」「反日一辺倒だから人気がなくなった」と一括りにできるものではありません。
真剣に戦争体験から「二度と戦争はしない」と訴えた人たち
イデオロギー色が非常に強かった運動
など、多様な流れが並存していて、そのうち「説教されているように感じる」「現実感がない」と受け取られた運動が、結果として“白け”を招いた、という見方が近いと思います。
日本社会全体としては、宗教・政治を問わず、「押しつけられる感じの強いメッセージ」や「現実の自分の暮らしとかけ離れた抽象的な主張」には距離を置きやすい傾向がある、という分析もあります。
「正義のために戦う」をどう見るか
「正義のために戦う」という言葉は、とても危うい側面があります。
その「正義」は誰の、どの立場からのものか
暴力以外の手段を本当に尽くしたのか
相手側にもまた、自分なりの「正義」があるのではないか
こうした問いを抜きに、「宗教のせい」「あの国のせい」と短絡的に理由を求めてしまうと、さらに分断が深まってしまいます。今の平和研究や宗教研究は、むしろ「宗教がどのように平和構築に貢献しうるか」という方向も重視しています。