コリント人への手紙 第一について その7『新改訳聖書』第3版のコリント人への手紙 第一15章50節から52節までに、次のように書かれています。***50節兄弟たちよ。私はこのことを言っておきます。血肉の*からだは神の国を相続できません。朽ちるものは、朽ちないものを相続できません。* 直訳「血と肉」51節*聞きなさい。私はあなたがたに奥義(おくぎ)を告げましょう。私たちはみな、眠ることになるのではなく、変えられるのです。* 直訳「見よ」52節終わりのラッパとともに、たちまち、一瞬のうちにです。ラッパが鳴ると、死者は朽ちないものによみがえり、私たちは変えられるのです。***51節2行目からの、「私たちはみな、眠ることになるのではなく、変えられるのです。」と、52節の「終わりのラッパとともに、たちまち、一瞬のうちにです。ラッパが鳴ると、死者は朽ちないものによみがえり、私たちは変えられるのです。」が『奥義(おくぎ)』である、と言うことができると思います。「死者は朽ちないものによみがえり」とあることから、『奥義(おくぎ)』というのは、死者が復活するときのことである、と言うことができます。テサロニケ人への手紙 第一4章16節と17節に、次のように書かれています。***16節主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られます。それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、17節次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります。***16節2行目から、「・・・それからキリストにある死者が、まず初めに『よみがえり』、」とあります。この「キリストにある死者が・・・『よみがえり』」と言われているときに、「死者は朽ちないものによみがえ」(Ⅰコリ15:52)るのではないかと思われます。テサロニケ人への手紙 第一4章16節の、「キリストにある死者が・・・『よみがえ』」るときに、コリント人への手紙 第一15章51節の『奥義(おくぎ)』の一部である、「死者は朽ちないものによみがえ」(Ⅰコリ15:52)る、ということが起こるのではないかと考えることができると思います。テサロニケ人への手紙 第一4章16節の、「キリストにある死者が・・・『よみがえ』」るときに、コリント人への手紙 第一15章51節の『奥義(おくぎ)』の一部である、「死者は朽ちないものによみがえ」(Ⅰコリ15:52)る、ということが起こる、と考えてよいと思われますか。ご意見をお聞かせいただけるとありがたいです。よろしくお願いいたします。*****補足「コリント人への手紙 第一について その2」の、2025/3/14 10:55のわたしの返信の第2段落と第3段落に、***「・・・肉と血は神の御国を受け継がない」のですからみな変えられるのです。」とあります。わたしもそう思います。***とあります。今読むと、少し違っています。「コリント人への手紙 第一について その2」のURLはこちらです。https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13312124933そのわたしの返信は、「私たちはなぜ変えられると思われますか」(2025/3/13 23:26)、とわたしがお訊きしたことに対して、両刃の剣さんが2025/3/14 7:02にお答えになったこと、についてのわたしの返信です。「肉と血は神の御国を受け継がない」という点については、「わたしもそう思います。」でよいのですが、「・・・のですからみな変えられるのです。」という点については、わたしはそうは思いません、となります。「私たちは『みな』」(51節)の『みな』というのは、キリストにある者は『みな』という意味である、と考えています。上記のわたしの返信の第2段落と第3段落を書き直すと、次のようになります。***『「・・・肉と血は神の御国を受け継がない」のですからみな変えられるのです。』とあります。「肉と血は神の御国を受け継がない」という点については、わたしもそう思いますが、『「・・・肉と血は神の御国を受け継がない」のですからみな変えられるのです。』という点については、そう思いません。***です。たいへん失礼いたしました。訂正してお詫びいたします。申し訳ありませんでした。よろしくお願いいたします。

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1284976

2026-02-03 09:25

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コリント人への手紙第一15章51–52節とテサロニケ人への手紙第一4章16–17節には、終末における「死者の復活」と「生者の変貌」に関する記述がありますので、教会学校でしたら、この2つに関連性があると考える生徒も出そうな気がします。でも奥義の内容を「死者が朽ちないものによみがえること」と限定的に解釈してしまうのは一面的な見方に過ぎないように思います。



コリント第一15章51節でパウロが語る奥義は、「私たちはみな、眠ることになるのではなく、変えられる」という点にあると思います。死者の復活だけでなく、生きている者も「一瞬のうちに変えられる」というメッセージという解釈の幅があるわけで、単なる復活の再確認だけにとどまらず、終末における包括的な変容の神秘を指していることも含めることが、聖書の解釈では大切です。



テサロニケ第一4章16–17節は、主の再臨時に起こる出来事の順序を示しており、「キリストにある死者の復活」と「生き残っている者の引き上げ」が描かれていますが、ここでは「変えられる」という表現は用いられていませんので、その2つは似たテーマですが、焦点や文脈が異なるため、完全に一致するとは限らないわけです。

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