コリント人への手紙第一15章51–52節とテサロニケ人への手紙第一4章16–17節には、終末における「死者の復活」と「生者の変貌」に関する記述がありますので、教会学校でしたら、この2つに関連性があると考える生徒も出そうな気がします。でも奥義の内容を「死者が朽ちないものによみがえること」と限定的に解釈してしまうのは一面的な見方に過ぎないように思います。
コリント第一15章51節でパウロが語る奥義は、「私たちはみな、眠ることになるのではなく、変えられる」という点にあると思います。死者の復活だけでなく、生きている者も「一瞬のうちに変えられる」というメッセージという解釈の幅があるわけで、単なる復活の再確認だけにとどまらず、終末における包括的な変容の神秘を指していることも含めることが、聖書の解釈では大切です。
テサロニケ第一4章16–17節は、主の再臨時に起こる出来事の順序を示しており、「キリストにある死者の復活」と「生き残っている者の引き上げ」が描かれていますが、ここでは「変えられる」という表現は用いられていませんので、その2つは似たテーマですが、焦点や文脈が異なるため、完全に一致するとは限らないわけです。