愛知・静岡県辺りと 広島・岡山県辺りは 当時の文明の中心だった畿内から同じくらいの距離なのに、なぜ 前者は都会で 後者は田舎だったのですか?・前者は 畿内と 鎌倉幕府があった鎌倉との間にあったから?・南蛮船が 流れが速い関門海峡を通れなかったから?南蛮船は 鹿児島辺りから 左右二手に分かれて、左の 九州西岸の博多辺りまで行く便と、右の 九州東岸や 四国の沖を通って 大阪辺りまでに行く便の 二便しかなかったから?

1件の回答

回答を書く

1023800

2026-08-10 09:05

+ フォロー

愛知・静岡地域が広島・岡山地域より発展した主な理由は以下の通りです。

・東海道という陸上交通の要衝だったため:畿内と関東を結ぶ最重要幹線上に位置し、人や物資の往来が活発でした。

・ご指摘の通り、鎌倉幕府成立後は畿内と鎌倉の中間地点として戦略的重要性が増しました。

・海上交通でも太平洋航路の寄港地として機能しました。

・名古屋は織田信長の本拠地に近く、豊臣秀吉、徳川家康の出身地域でもあり、戦国時代から江戸時代にかけて政治的重要性が高まりました。

一方、広島・岡山は山陽道沿いではありますが、瀬戸内海航路の発達により陸路の重要性が相対的に低く、また畿内から九州への移動では海路が選ばれることが多かったため、東海道ほどの発展には至りませんでした。

南蛮船については、実際には瀬戸内海を通って大阪まで来航しており、関門海峡の通過が主要な障害だったわけではありません。

うったえる有益だ(0シェアするブックマークする

関連質問

Copyright © 2026 AQ188.com All Rights Reserved.

博識 著作権所有