太平洋戦争開戦時点における大日本帝国の航空部隊の強さは、海軍について言えば、山本五十六などを筆頭とする日本海軍航空派の、航空戦力運用方針と訓練が優れていたからでしょう。後は、陸軍航空隊も含めて日中戦争やノモンハン事件などで豊富な実戦経験を持てたことも大きいでしょう。
例えば、遠距離作戦となった重慶爆撃作戦では、攻撃機だけでは敵迎撃戦闘機との戦いが不利であるため、それまでは戦闘機は短距離と相場が決まっていたのですが、攻撃機を護衛するための長距離護衛戦闘機を構想し、それを実現させた世界最初の戦闘機が海軍のゼロ戦(零式戦闘機)であり、陸軍の隼(1式戦闘機)でした。
海軍の場合は、敵基地攻撃用の空母艦載機としての運用する以外に、敵艦隊の接近を迎え撃つための陸上基地からの遠洋攻撃も構想し、太平洋戦争開戦時には両者とも間に合わせています。
空母機動部隊は真珠湾攻撃で米主力戦艦群に大打撃を与え、陸上攻撃機部隊もマレー沖海戦で英主力戦艦のプリンスオブウェールズとレパルスの撃沈に成功しています。
また、陸海軍合同作戦となったフィリピン米空軍基地空襲作戦は、台湾南部から500機を出撃させ、たった1回の総攻撃で約300機の在フィリピン米空軍を
壊滅させ、損害は1機だけという驚異的な大勝利を挙げています。
いずれも航空部隊の開発・運用方針の適格性と訓練方法が非常に優れていたことを示しています。
ただ、残念ながら、以上の強みを持続させるには、当時の日本の技術開発力が英米に比べると残念な水準だったということになりますでしょうか。