富士大石寺顕正会は、臨終の相に固執しており、顕正新聞の活動体験でも、顕正会の信心を全うした人は、今にも目を開けるのではないかと思うような安らかな素晴らしい臨終の相だったとの話が良く出ます。それでは顕正会で一生懸命信心をした人でなければ成仏できないのかという話になりますが、現実には、日蓮正宗系の信心活動に関わっていない人でも、今にでも目を開けるのではないかと思う安らかな死相の人は少なくありません。人が亡くなった時の「臨終の相」は、何の宗教の信仰を全うしたのかではなく、故人の人生によるものだと思います。悔いのない人生を全うした人の臨終は、宗教に関係なく安らかではないでしょうか?

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1283428

2026-07-14 10:40

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>臨終の相に固執

<顕正会>は、富士大石寺を本山とする日蓮正宗(日蓮宗の数ある派のひとつ)の信者組織でしたが、教団から追放された団体です。年を経るたびに、ますます日蓮聖人の教えから遠ざかっていくようです。



何故固執するのか? それは日蓮その人が<臨終の相>を大事にしていたからです。信者が亡くなると、どういった死に方だったのかを気にかけていたから。それをマネてるのでしょう。それだけです。



<臨終の相>が見事なのは、<顕正会>に限るはずがありません。質問者さんが言われるように、<悔いのない人生を全うした>かどうかによります。だから日蓮正宗のある高僧は、鈴木大拙(曹洞宗信者)の様に臨終を迎えたい、と話されてました。

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