まちがっています。
玄奘三蔵は仏教を伝えたのではなく、大量の経典をインドから持ち帰って、それを翻訳した人です。
中国に仏教が伝来したのは、文献上では紀元2年です。
じっさいにも、1世紀に伝わったであろうと考えられており、おそらくはシルクロードでインド・西域からやってきた商人に仏教徒がいて、そういう人たちによってじょじょに民衆に広まったのでしょう。
文献に残っている中国で最初の仏教徒は後漢の明帝(在位57~75)の異母弟・楚王英です。皇帝としての最初の仏教徒は後漢の桓帝(在位147~167)で、1〜2世紀には皇帝の周辺でも仏教が信仰されるようになります。
この桓帝の時代に西域の僧が中国にやってくるようになりますが、お経はサンスクリット語やパーリ語で書かれていますから、そのまま持ち込まれても中国人は読めません。そこで、経典の漢訳が行われるようになったのです。
中国に大乗経典が伝わるのは3世紀の西晋時代で、敦煌の僧・竺法護(233~310)が多くの大乗経典を漢訳しました。
このあと、鳩摩羅什(344〜 413)という西域の僧が長安においておよそ300巻の経典を翻訳します。このあたりで中国仏教は一気に発展していきました。
玄奘三蔵(602〜664)は、すでに仏教が広まっていた隋の時代に生まれ、11歳のときに出家を志します。
もともと勉強家であった玄奘は多くの経典を学びますが、やがて漢訳経典ではなく原典を学ぶべきであると考えるようになります。
そこでインドに行き、釈迦の聖蹟を巡礼するとともに、現地で仏教を学ぼうと考えたのです。
こうして玄奘は629年に出国し、16年後の645年に経典657部や仏像などを持って帰還したのです。
帰国後の玄奘は、持ち帰った経典の翻訳に明け暮れ、初期の翻訳の誤りを正していきます。そして法相宗の開祖となったのです。
朝鮮半島に仏教が伝わるのは4世紀後半のことで、当時は魏晋南北朝時代であった中国から、高句麗、百済、新羅に伝わっていきます。
そして、日本には538年に百済から仏教が伝来します。そのときにはもちろん玄奘三蔵は生まれてもいません。