今、50歳以上とかの人でしたらその話は普通に合ってると思います。
昭和62年でしたか男女雇用機会均等法が制定、施行され、それが徐々に社会に浸透するにつれ、女子も男性と同じように学をつけ社会的にも平等であるべき、ということでポーズではなく徐々に大企業も女子の4年制大学文系女子をきちんととるようになってきたことで女子のボリュームも短大→四年制という流れになりました。
私も都内が長いので個々のことについては余り詳しい訳ではなく、
南山大のレベルだと(私は)わかりませんが、
金城学院の中等部からの50代の知り合いがいて(その人は違うものの)内部から入るのも当時は金城の短大の英文科が一番、難しかったと聞いています。
都内でもいわゆる中堅女子大の大妻、共立、実践女子であれば当時は短大、特に英文科のほうが上でした。これが例えばもう少しレベルが高かったフェリスであれば4年制のほうが難しかったかとは思いますが。ただ年代が上がれば上がる程、短大が高かったと思います。
女子大自体が大きく下がってしまいましたが当時はフェリス女学院大学もマーチ近くはありました。
青山学院、学習院、東京女子大の短大はとても高く、
今、50代後半の人~なら一部、マーチより難しく
(70代の人の頃なら総じてマーチより難しかったようです)
丁度、そんな記事を見たので思い出していました。
yahoo.co.jp/expert/articles/2a516b039f3055057e0b87f1ed22ea40724bfeb2">https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/2a516b039f3055057e0b87f1ed22ea40724bfeb2
現ソウリになった高市さんは64歳ですのでもっと上ですが、
彼女も普通に進学校に通っていたものの、弟にはどこでも行かせるが、貴方は女子なんだから家から通える短大に行って近くの銀行にでも勤めてさっさと結婚しろ、というようなことをよく言われていたようです。短大以外は学費は出さないと言われていた。
それへの反発もあって高校時代にバイトをして進学費用をため、都内のトップ私大も受けて合格したので
当初はそちらのほうへ行って一人暮らししてやる、という気持ちもあったようです。
当時の女性は優秀でも社会人として活かせなかった人が多くいたものと思います。ただ選択肢が多くなった今の女性が幸せかと言うと、それも又、一概には言いにくいのかもしれないですね。女性でも頑張りさえすれば仕事でも認められ得る、ただ結婚もしたいし子供も欲しい、でも全てを円滑に回そうとすると全く時間も足りない、ということで、子育てをしながら満員電車に揺られ、保育園のお迎え時間に間に合うべく必死に仕事を終え、家に帰れば家事をして、
と毎日、ギリギリ、綱渡りで疲弊してる女性社員を多くみます。若い男性社員の意識は随分、変わってきましたが、それでも子供を産むのは女性にしかできませんし負担感はなかなか解消されてないかにみえます。