少し前までは、「子供は家に帰るとテレビにかじりついている」そんな光景が、ごく当たり前のように語られていました。夕方のアニメ、夜のバラエティ、週末の特番――テレビは、子供の時間を最も分かりやすく占領する存在でした。ところが今、振り返ってみると、その前提自体がすでに過去のものになりつつあります。子供たちは必ずしもテレビの前に集まらず、画面はもっと小さく、もっと個人的なものになりました。リモコンを取り合うこともなく、放送時間に合わせて行動する必要もありません。それでもなお、「子供と画面」「集中力」「注意力」といった話題だけは、形を変えながら生き残り続けています。かつてテレビに向けられていた心配や評価が、今も別の姿で語り継がれているようにも見えます。ところで、現代では 英語は全ての日本人にとって 初めての、そして、半数強の人にとっては 唯一の外国語ですが、江戸時代は外国語と言えば オランダ語が主流だったのは みなさんご存知かと思います。 それで、福沢諭吉は江戸時代にオランダ語を学び、明治になって 英語に乗り換えた啓蒙思想家としても有名ですね。 当時はパソコンやネットはおろか、カセットレコーダーのような音響機器も存在せず、英語を覚えるのにも現代とは比べ物にならないくらい不便な時代でした。しかし、それでも、諭吉は英語の前にオランダ語を習得していて、オランダ語は英語に最も近い言語ということもあって、英語に対する抵抗も小さく、これは 私たちが逆立ちしても享受することのできない大きなアドバンテージだったはずです。そして、最初のうちは オランダ語の知識を駆使したと思われます。そこで、次の英文です。(当時はまだ テレビなんかなかっただろ っていう突っ込みはご勘弁ください。)① \u0026quot;Watching TV can inhibit children’s ability to pay attention for long period of time.\u0026quot;諭吉なら 日本語よりも オランダ語に訳した方が 分かりやすかったでしょう。② \u0026quot;Televisie kijken kan het vermogen van kinderen om zich gedurende lange tijd te concentreren belemmeren.\u0026quot;ところが、明治になると オランダ語は途端に下火になり、代わって 英語が最初の外国語として学ばれるようになりました。そうすると、諭吉の手法は使えませんから、和訳するしかありません。③ 「テレビを見る事は長時間注意を払う子供の能力を弱める可能性がある」そこで質問ですが、先生が生徒に説明するとしたら、①の文で can が使われている理由を、どのように教えるのが分かりやすいでしょうか?「〜する可能性がある=could」と機械的に覚えてきた生徒に対して、can は「一般的に起こり得る性質・傾向」を述べるときに使われる、という違いを、どんな例や言い換えで示せば誤解なく伝わるでしょうか?また、日本語の和訳に引きずられて助動詞を選んでしまう癖を、授業の中でどう修正すればよいのか、教師としての説明の仕方・導入の工夫という観点から、ご意見を伺いたいです。๑๒/๒๗

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1261717

2026-08-01 06:50

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普通、まず「Canは『〜することができる』である」と教えてるでしょう。

\u0026quot;Jack can go home.\u0026quot;

 「ジャックは家に帰ることができる。」

ここで問題が発生します(笑)

これは「ジャックには足があり、歩くことができるので、家まで自分で

歩いて帰れる。」のかもしれないし、

「ジャックは道がわかってるので家に帰ることができる」なのか?

どちらの場合も「家に帰る『能力がある』」訳です。



別の問題も発生します。

「仕事が済んだからご苦労さん、家に帰ってもいいです。」である可能性

もあります。足があるとか、道がわかってるのでなく、

「家に帰る『許可が与えられてる』」とか

「もう帰っても『支障がない』」です。



まずはこの2つを押さえるのが先決でしょう。

これならかなりスッキリわかってもらえないでしょうか?

ここまでしっかりわかってれば、次の段階に進みます。



普通、この文の主語はJackで、canはgo homeを受けてるのか?です。

換言するなら、canは別のものを受けないのか?です(笑)

「ジャックは〜できる」、「家に帰ることができる」ではないんです。

「ジャックが家に帰る」ということが、そもそも可能なのか?

なんです(笑)

つまり、このcanはジャックの能力でも、与えられた許可でもなく、

文全体を受けてるんです!なので、

「ジャックが家に帰ることはあり得ることなのである」です。

もっと自然に日本語にすれば、

「ジャックは家に帰り得る。」だから「帰るかもしれない」となります。



\u0026quot;John only eats rice.\u0026quot;のonlyがどこにかかってるのか?

「米しか食べない」のか「米を食べる以外のことをしない」のか?

もしくは「ジョンだけが米を食べる」なのか?

\u0026quot;Don't laugh at me because I am poor.\u0026quot;が

「貧しいんだから笑うな」なのか「貧しいからといって笑うな」なのか?

です。

この「これは何にかかってるのか?」、「何を受けてるのか?」は

重大問題です(そう教えないみたいですが)。



「Canにはこんな意味もあれば、あんな意味もある」ではないんです。

「どこにかかるか」によって、全体の意味が変わり「得る」のです。

「ジャックが家に帰り得る」はジャックの「能力」ではないんです。

Canもmustもmayもこんな風に教えたらどう?と思います(笑)

うったえる有益だ(0シェアするブックマークする

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