>死者が飲食するわけがないので、弔いの気持ち云々は本人自身のことであって社会的にはゴミ放置と同じですからやめるべきでしょう?非常識の極みです。
花はいいんですか。
花も腐りますし、死者には香りも届きませんが。
それに、この話って(あなたの意見)、どこかに転がってた〝SNS上での承認欲求〟ですね。
他者からの承認を得ることに満足感を感じ、そのための「見栄えの良い」投稿や、特定の層に受け入れられやすい内容の発信をして、欲求を満たす輩と一緒。
その真似を知恵袋でもしてみて、年末年始の暇つぶしですか?
さて、あなたの意見。
弔いの気持ちは本人の問題だけであって、それを現場に手向けるなどして形に表す必要もなく、そんな気持ちもない(関わりもない)他人からしたら現場に置かれた弔いの気持ち(花や飲食物)はただの物やゴミでしかない…ということでしょうか。
まあ、他人がいちいち人の不幸に同情する必要もないでしょう。
そこで何があったかも知らない第三者にしたら、おもむろに置かれた花や飲食物は、ただのゴミなのかもしれません。
しかし、それを非常識とまで言える行為なのでしょうか。
常識の言葉を振りかざせば、なんでも通じるものなのでしょうか。
飲食物を戸外や路上に並べるということだけに視点を置いて言えば、〝非〟日常的なこととも言えますし、〝非〟常識ともいえるでしょう。
しかし広く世間に、そこで事故や何かしらがあったと分かっている現場で、他人が弔いとして何かしらを供える行為までは非常識とはいえません。
例えばその現場で亡くなった方を意味もなく侮辱するとか小便でも垂れるなどするなら、それは人としても社会的にも非常識ではありますが、亡くなった方がいると分かっている現場にあえて飲食物を手向ける行為を〝非常式〟とまで言って批判することに、人としての正義までは感じられません。
むしろ、弔いの気持ちがあっての行為だと分かっている上で、それでもなおその行為を非常識だと批判するあなたの方こそ、非常識に見えますけどね。
まして、供えた花や飲食物が一定期間の後に適切に処分されるなら、あえて一時的に供えていくことを非常識とまで言って批判するのは、公衆の衛生だけを最優先した融通の効かない意見にも見えますが。